2006年1月15日

訴えられる世界

 近年までは日本において殆ど訴訟にならなかったのが、お医者さんの世界と、宗教の
世界ではないでしょうか。お医者さんの世界は、日本では医師会の力が強く、また患
者側が医学というものに対して知識が薄いこともあって、医師の過失を証明する術を
持たなかったので、訴えても殆ど勝ち目がなかったと思います。「近年までは」と
言ったのは、最近では日本人の法意識も、医学知識も驚くほど上がって、それに明ら
かに倫理に欠けたり、ミスをする医療サービスが多くなって、医療裁判が起こるよう
になり、医療サービスをする側が負けるケースも出てきました。
 宗教側では、日本は戦争中治安維持法によって宗教界を弾圧したので、戦後はそれに
対する反発で「官は宗教には手をださないほうがよい」と考えるのか、司法が宗教を
取り締まるということは殆どありませんでした。それが変わったのは、あの「オーム
真理教」からではないかと思います。
 私がアメリカに来て驚いたことは、来た翌年(1982年)、純然たる誡規の執行がなさ
れたと思われるのに、教会が負けた裁判の記事を読んだことです。それはオクラホマ
で起こりました。一人の婦人の教会のメンバーが、結婚もしていないのにある男の人
と同棲を始めました。それを知った教会の役員会は、それをやめるように説得し悔い
改めるように促しました。しかし彼女は聞きませんでした。教会は繰り返し警告をし
ましたが、彼女は改めませんでした。それで教会は問題を公告し、彼女を除名し、交
わりを断ったのです。この婦人は「自分のプライヴァシーが侵害された」と怒って、
裁判になりました。教会は負けて、あの当時で、十万ドル単位の賠償を払ったと思い
ます。「教会は聖書に従ったのに、裁判に負けた」という大きな見出しとともに、
ジーンズをはいて実にふてぶてしく写っていたその婦人の新聞写真のことを覚えてい
ます。
 サンホゼに来てからも、そういう事件がありました。ロスガトス・クリスチャン・セ
ンターという大きな教会が、やはり不品行をしていた男性の教会役員に、それをやめ
て悔い改めるように促しました。 しかしその男性は、それでも改めないので、教会
は誡規を執行しました。男性はプライバシーの問題だと裁判に訴え、教会側は負けま
した。この時も、ン十万ドルの賠償金だったはずです。こういう現実ですから、アメ
リカの教会は、怖くて「聖」を教えることが出来ないと思います。同時に裁判になっ
ては負けるかもしれないので、負けた時のためにものすごい額の保険に入っているの
です。
 日本の教会で「裁判に負けたときのために保険に入る」などということは、聞いたこ
とがないと思います。しかし近年はキリスト教会も訴えられるようになりました。た
だ残念なことに、教会が訴えられるケースは、先に挙げたアメリカのケースのよう
に、教会が聖書に従って誡規を執行したというのではなく、どう考えても教会側(指
導者側)に落ち度があるようで、これはどうしようもありません。昨年、京都の牧師
が信じがたい不品行で訴えられ、最近は私も知っている教会の牧師が暴力とセクハラ
で訴えられました。教会は本来自浄作用を持っているはずです。1コリント5:12
は「外部の人たちをさばくことは、私のすべきことでしょうか。あなたがたがさばく
べき者は、内部の人たちではありませんか」と、外の人の裁きは、外に任せ、内部の
裁きは内部でするように教えています。ところが教会が教会になっていないと、自浄
作用が働きません。
 こういう教会は多くが単立の教会、あるいは群れであっても、その群れのリーダーが
絶対的な権力を持っている教会で、そのリーダー自身が問題の場合は、殆ど自浄作用
は働きません。これが私たちのような団体の場合はどうでしょう。アッセンブリーズ
・オブ・ゴッドは長老派に近い教会政治形態を持っています。もし指導者(牧師)に
問題がある場合は、信徒の二―三人の証人共に、役員会がその指導者を質すでしょ
う。教会で手に負えないような大きな問題なら、セクションのプレスビターに連絡さ
れるでしょう。セクションのプレスビターでも手に負えない場合は、教区に連絡され
るでしょう。教区でも手に負えない場合は、General Council (総会)に連絡される
でしょう。それぞれの段階で、吟味され、問題が明らかになれば、指導されます。お
そらくアッセンブリー教団の場合は、それぞれの段階で明らかに教会側(指導者側)
に落ち度があると分かったなら、上の権威は指導者を誡規に付したりして、訴訟にな
る前に和解の方向に持っていくでしょう。アッセンブリーという名前を冠しているの
で団体全体が困るからです。
 この最近訴えられた教会のケースの場合、だれも指導する権威の人がいないことがま
ず問題であり(殆ど単立に近いから)、あるいは近隣の教会が指導しても、指導者が
その指導に従わないことが問題を複雑にしてしまったようです。会計報告が全くなさ
れないという問題もあったようです。これなどは私たち団体に属している者にとって
は、信じがたいことです。私たちは団体に属しているので、クオーター毎に、会計報
告をプレスビターと教区に提出することが義務づけられています。勿論、同時に教会
員にも報告されます。ですから教会員達は牧師がいくら手当を受けとっているかなど
は、皆知っています。それは特別なことではなく、普通のことだと思います。もし、
こういう問題(セクハラとか暴力)が私たちの団体内の教会でおこり有罪になれば、
まず牧師(指導者)は除名になり、その牧師はその教会から追放になるでしょう。仮
に裁判で勝ったとしても、その牧師は伝道者生涯に消し難い汚点を背負うことになる
でしょう。牧師という仕事は、この世的にはそう報われることはないのですが、高い
倫理性を要求される仕事であることは言うまでもありません。
しかし、こういう事件は重ね重ね、残念なことです。