2006年2月12日
「なぜ福音宣教という仕事は」
そんなに魅力がないのでしょうか? それは結局、「お金もうけにならない」という理由からでしょうか? 収監中のホリエモンこと、堀江貴文氏は、東大在学中に起業し、32歳にして一時は時価総額700億のライブドアの株をもつ資産家になった方でした。人々はもてはやしましたが、今や起訴されてライブドアの株価は下落し、上場廃止さえ検討されているようです。一時の栄華はパーです。阪神タイガーズ買収劇で有名になった村上世彰氏は、村上ファンドと言う投資会社の代表で、この方1983年東大法学部を卒業後、通産省に入省したキャリアです。堀江氏も村上氏も、共に東大で学んだほどの優秀な方で、頭を使ってお金を儲けることにかけては大変お上手なようです。また法の網を通り抜けて世渡りする術もずいぶん身につけておられるようです。ただ堀江氏の場合、今回の起訴の結末はわかりません。
今日では汗を流して働いて、こつこつと真面目に働いて収入を得るなどという考えはアホらしいと考える方たちが多いようです。人様のために、あるいは社会のために貢献するという意識で仕事に向かうと言う気風も少ないように思います。堀江氏は、東大すら途中で止めてしまった方、村上氏は勤めていた通産省を辞めた方です。「この方が儲かる」、この一点に辞めた原因があると思います。日本の若い優秀な人材の能力は、残念なことに生産とか、シビル・サービスとか、広範な人々のためになることに使われないで、自分の欲望を満たすことばかりに使われている感じがします。
世の中全体が、そういう状態ですから、能力、情熱、力を世の人々のために費やすという人が少ないのも当たり前かもしれません。これが主のために働くとなると、今日専心伝道者への志願者がますます少なくなりました。信徒が少ないとは言え、毎年12-5名くらい入学した頃の信徒数より、現在の信徒数は増えているのです。私どもの日本の教団も、立派な神学校の建物は出来ましたが、入ってくる神学生が少ないのです。新しい神学校の寮は、学年20名、合計80名くらいの収容能力はあるそうです。ところが現在の神学校はその収容能力の半分も満たされていないようです。主は、「実りは多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい(ルカ10:2)」と言われましたが、働き手を志願する人は極めて少人数です。戦後献身して伝道者になった昭和一桁の牧師達が引退の時代にさしかかっています。
何故、福音宣教という仕事は、そんなに魅力がないのでしょうか? 1テモテ3:1には、「『人がもし監督の職につきたいと思うなら、それはすばらしい仕事を求めることである。』ということばは真実です」とあります。この監督というのは、今日の牧師という風に理解してよいでしょう。こういう風に、聖書から「すばらしい仕事を求めること」とお墨付きをもらっているのです。「公務員になること・・・・・」「コンピューター技師になること・・・・・・」という聖句はありませんが、「監督」つまり「牧師」になることは、聖書が「すばらしい仕事を求めること」と言っているのです。
かく言う私も、今から36年前、主の尊い召しの声を聞いた時、ただちに立ち上がったわけではありませんでした。私にはすでにクリスチャンでしたが、やはりこの世の影響で、当時 トヨタ・クラウンのスーパー・デラックスに乗りたいという野望がありました。それで、主の召しの声を聞いたとき、ただちに「それは悪い考え、向こうへ行け!」と思いました。しかしやがて、主の強い召しの声に抗しきれなくなって、立ち上がらざるをえませんでした。それまでの 「トヨタ・クラウン・スーパーデラックスに乗りたい」の夢が、すっかりなくなりました。(あれはいい車だけど、結局、買ったその時から朽ち果てていく運命にあるものです。)
主の召しの声を聞いている諸君よ、どうぞ勇気を奮って立ち上がってください。人生は一度しかありません。確かに、とりわけうまいものを食べて、東横インの社長の家のような豪華な邸宅に住んで、老後はゴルフ三昧、海外旅行三昧、優雅に暮らしても一生です。慎ましやかに、しかし世の光、地の塩として、懸命に主に仕え、人々に仕え、神の国の発展のために費やすのも一生です。主はどちらの生涯に対して顧みられるでしょうか。信仰者は、この地上の生涯がすべてだと考えるべきではありません。永遠を考えるべきです。永遠を考える人は、永遠の目で見てなさるお方がいることを覚えて、何をなすべきかを考えるべきです。
主はあなたを必要となさってはいませんか?