2006年4月30日
「Lovology(続き)」
本当に人を愛するということについて書くことは、結局取り立てて新しいことを書くことではありません。僕が話していることに、なにも目新しいものはなく、すでに言われてきたことです。ただ僕が、ここでこうやって書くものですから、読んでくれる人もいるのですが、実際、ごくごくありきたりのことです。ただ、ありきたりのこと、つまり人を愛するということが、出来る人と出来ない人がいることは確かでしょう。
僕が恋愛論として一番影響を受けたのは、遠藤周作氏の本です。彼には『愛情セミナー』という薄い本がありますが、これ一冊読んだだけでも、人を愛するということがかなり分かります。文庫本で170ページばかりの薄い本ですが、内容は濃い。最後に広石廉二氏の解説があって、そこに遠藤氏のこのテーマの本がずらっと出ています。僕のお奨めは、この『愛情セミナー』と『ぐうたら愛情学』です。この二冊を読めば、素晴らしい結婚生活が出来る準備が出来るでしょう。もっとも、聖書は別格ですが。
僕は前から若い人達に言っているのだけど、愛するということは長持ちさせることと、それをどんな状況であっても信仰深く、かつ楽しくやることが大切だということです。遠藤氏は、「モテぬ男はもし彼が生涯の伴侶に相応しい女性と考えた相手も愛した以上は、生涯その女性との愛を持続するために努力する人間である。彼等はそのために周りの友人たちから『時代遅れ』と笑われたり、『女を知らぬ』と嘲られるかもしれぬ。しかし愛というものに、時代遅れも現代もないのである。一人の男が、一人の女を愛する心意気は時代を超えてひとつしかないのである。」(p24 )
また彼はこう言います、「一人の女を愛して生涯、かのじょとの約束を守るといことはまことに困難である。それは孤独な高い山に登るのによく似ている。なぜなら、女性というのはいつまでも情熱の対象になるだけの魅力や美しさを持っていないからだ。初めは美点にみえたものが、やがては鼻につく短所と変わり、初めは美しく思えたものは、やがて色あせ、みにくくなる(p.25)」 そして彼は、「男らしい行為とはいうのは、何も太平洋をヨットで乗り出したり、オートバイで世界を駈けまわることではない。目立たぬが真の男らしい行為とは自分で伴侶者と選んだ女性がいかに色あせ、醜くなっても、なおこれを愛し続けることである(p27)」と結びます。
別に新しいことでもなんでもない。遠藤周作氏が、彼の言葉で本当の愛について書いただけです。聖書には、愛は「すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません(1コリント13;7-8)」とあります。この原則が分かっているなら、結婚において「愛が冷える」などということはあるはずがありません。
キリスト教の結婚式では、「汝、健やかなる時も、病めるときも、富める時も、貧しき時も、これを愛し、これに仕え、これを尊び、これを敬い、死が二人を分かつ時まで、固く節操を守ることを誓うか」と問われます。さだまさしさんは、「おれは浮気はしない、多分しないと思う、しないんじゃないかな、ま、ちょっと覚悟はしておけ」などと歌っていますが、懸命に妻を愛する人は「おれは浮気はしない」のステイトメントでピリオドです。
ただ、遠藤氏が、「女性というのはいつまでも情熱の対象になるだけの魅力や美しさを持っていないからだ」というように、(これは当たり前でしょう。美少女と言われたゴクミさんも、もういくつになりましたか?ゴマキさんだって、美少女時代はほんの一瞬です。) 生涯を通して、結婚生活を燃えるようにメンテインするには、信仰と祈りだけでなく、上からの工夫が必要です。これはまた書きましょう。
クリスチャンでも色々で、ことに恋愛などというようなことは、下々の人達のされること、とお考えになる極めてオカタイ方々も、まだおいでになるようです。まあ、それでうまくいけばメデタシ、メデタシですが、オカタイ方と、世の中の修羅場を経験した方が一緒になると、これはアジャストするのに知恵が必要ではないかと思うのです。
遠藤先生も「絶対読め」とご推奨の、スタンダールの『恋愛論』、は僕が読んでいないわけはないでしょう。スタンダールは、「恋をした瞬間から、最も賢明な男も対象をあるがままに見ない。自分の利点を過少に見積もり、愛するものの些細な行為を過大に評価する」と言います。実際、こういう状況が継続すれば、問題など起こらないのですがねえ。
二週間の日本の旅から戻って、また僕は妻を強く抱きしめ、熱くキッスをして、彼女に言いました、「なんでみんなうまく行かない人が多いんだろうねえ、最初は愛して結婚したんだろうに」 エッ、いい年をして、ですって? 冗談じゃない、恋愛に年なんか関係あるものか。こっちは信仰を持って、妻を愛しているんだ。鬼に金棒だ。