2006年6月18日

  『肉体の癒しと心の癒し』 ルカ5:12-32

5:12 さて、イエスがある町におられたとき、全身らい病の人がいた。イエスを見ると、ひれ伏してお願いした。「主よ。お心一つで、私はきよくしていただけます。」
5:13 イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ。」と言われた。すると、すぐに、そのらい病が消えた。
5:14 イエスは、彼にこう命じられた。「だれにも話してはいけない。ただ祭司のところに行って、自分を見せなさい。そして人々へのあかしのため、モーセが命じたように、あなたのきよめの供え物をしなさい。」
5:15 しかし、イエスのうわさは、ますます広まり、多くの人の群れが、話を聞きに、また、病気を直してもらいに集まって来た。
5:16 しかし、イエスご自身は、よく荒野に退いて祈っておられた。
5:17 ある日のこと、イエスが教えておられると、パリサイ人と律法の教師たちも、そこにすわっていた。彼らは、ガリラヤとユダヤとのすべての村々や、エルサレムから来ていた。イエスは、主の御力をもって、病気を直しておられた。
5:18 するとそこに、男たちが、中風をわずらっている人を、床のままで運んで来た。そして、何とかして家の中に運び込み、イエスの前に置こうとしていた。
5:19 しかし、大ぜい人がいて、どうにも病人を運び込む方法が見つからないので、屋上に上って屋根の瓦をはがし、そこから彼の寝床を、ちょうど人々の真中のイエスの前に、つり降ろした。
5:20 彼らの信仰を見て、イエスは「友よ。あなたの罪は赦されました。」と言われた。
5:21 ところが、律法学者、パリサイ人たちは、理屈を言い始めた。「神をけがすことを言うこの人は、いったい何者だ。神のほかに、だれが罪を赦すことができよう。」
5:22 その理屈を見抜いておられたイエスは、彼らに言われた。「なぜ、心の中でそんな理屈を言っているのか。5:23 『あなたの罪は赦された。』と言うのと、『起きて歩け。』と言うのと、どちらがやさしいか。
5:24 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに悟らせるために。」と言って、中風の人に、「あなたに命じる。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。」と言われた。
5:25 すると彼は、たちどころに人々の前で立ち上がり、寝ていた床をたたんで、神をあがめながら自分の家に帰った。
5:26 人々はみな、ひどく驚き、神をあがめ、恐れに満たされて、「私たちは、きょう、驚くべきことを見た。」と言った。5:27 この後、イエスは出て行き、収税所にすわっているレビという取税人に目を留めて、「わたしについて来なさい。」と言われた。
5:28 するとレビは、何もかも捨て、立ち上がってイエスに従った。
5:29 そこでレビは、自分の家でイエスのために大ぶるまいをしたが、取税人たちや、ほかに大ぜいの人たちが食卓に着いていた。
5:30 すると、パリサイ人やその派の律法学者たちが、イエスの弟子たちに向かって、つぶやいて言った。「なぜ、あなたがたは、取税人や罪人どもといっしょに飲み食いするのですか。」
5:31 そこで、イエスは答えて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。
5:32 わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」

日本だけでなく、クリスチャンが日本よりは多いと言われるアメリカでも、日本と同じくらい心の病気の人がいるような感じがします。心の病気と言いました。神学的に言えば、人の霊は生まれながらに死んでいるのですから、治しようがないのですが、人は、死んだ霊を含めた魂が病気なのです。根性で生きている人もおりますが、霊が死んでいるのですから、その根性がいくら強くても、それは心の病気なのです。この病気がいかに大変かは、自分で治すことが出来ないということと、その結末が永遠の死につながるということなのです。実際、自分ではどうすることも出来ません、ただイエス様以外は。

イエス様は人間の肉体の病気の癒し主でもあります。ですから、病気になった時は、イエス様のもとにくることです。イエス様は、御心に従って、あなたを癒してくださいます。これは、お医者さんは必要ないという意味ではありません。もし何も健康的に問題がないなら、多くの方々は、もう病のことはあまり関係ないと考える傾向があります。けれども、それは問題です。人間には、肉体の病だけでなく、心の病があるからです。

今朝のテキストは明らかにそれを教えています。ここに二種類の病気の人、すなわち肉体的な病気と心の病気の人が示されています。まず12節には、ハンセン病に冒された人が出てきます。また18節には忠風の人が出てきます。これらの人々は、一見、肉体的な病気の人たちであります。

数年前、私はハワイのモロカイ島のカラパパという所を訪問しました。何年か前まで、そこには何人ものハンセン病の人たちが、町から隔離され、治る見込みもなく、絶望のうちに死を待っておりました。その頃、ベルギー人のカトリック、ダミエン神父がこの島にやってきました。そしてイエス様のことを伝えました。ダミエン神父が手をおいたら、イエス様のなさったように、たちどころにハンセン病が癒されたという記録は知りません。彼はカラパパに来た時は、健康でしたから人々はなかなかダミエン神父の話に耳を傾けませんでした。しかしそこで奉仕する中で、彼自身もハンセン病になりました。それから人々はそういう病の中でも、イエス様の希望を語るダミエン神父の話を聞き始めました。確かに多くの人々が死にましたが、ただ死んだのではなく、復活の希望と共に死んだのです。私たちのツアーグループをエスコートしてくれた人も、以前はハンセン病患者だったと言いました。今は、良い薬ができて、ハンセン病は過去の病になりました。神がこうして人類に素晴らしい薬のプレゼントを下さったのでしょう。

どの肉体的病の人にとっても、癒されるということは、絶対的な期待でしょう。そしてイエス様は、必ずそういう肉体の病の癒しに対して気を遣っておられます。事実、現代のようによい薬がなかった時代、イエス様は、このハンセン病の人を癒されたのです。

二番目の人は、忠風でした。この痛みがどれくらいきついか私にはよく分かりません。私は、皆さんが見たところ元気ですが、昨年のギックリ腰はひどかった。時々まだ腰が痛むことがあります。おそらくそういう経験のない方は、その痛みが分からないでしょう。おそらく、この忠風の人の痛みがきつかったでしょう。治りたいと願ったでしょうね。イエス様はこの人に、決して「私が関わるのは霊的な問題のみです。体の健康のことなら、お医者さんに行きなさい」とは言われませんでした。そして彼を癒されたのです。ところが、癒される前に、まずイエス様は、彼に「友よ。あなたの罪は赦されました」と言われました。

そこで、真理をお伝えしますが、確かに肉体の病が癒されることは素晴らしいですが、心の病が癒されることは、もっと素晴らしいのです。それはあのモロカイ島のハンセン病患者の話でもわかります。肉体の病が癒されなかったとしても、霊が生かされて心の病が癒されるなら、復活して、永遠の命が与えられるからであります。それでは、心の病気とはどういうのでしょうか?テキストのどこで、そういう人たちを見つけるのでしょうか?

27節を見ますと、取税人のレビという人が出てまいります。この人は、マタイの福音書9:9に出てくるマタイのことであります。ここで特にマタイ、つまりレビに心の病があったようには記されていません。けれどもレビは、心の病気でした。なぜかと言うと、イエス様が召された時、殆ど直ちに従っているからです。この時レビは、取税人という仕事も、おそらく持っていた財産も、この世的ないい将来も、みな捧げたのです。考えてみてください、彼は当時取税人という、沢山お金がとれる、いい仕事を持っていたのです。

皆さんは最近、マコ姉が書いているリバイバル新聞のマンガを見ていますか?もしまだなら、教会で、スクラップにしていますから、どうぞ見てください。最近のでとても面白いのがありました。それは人生は目的なしでは生きられないというテーマです。桶に水をいれて、別の桶に注ぐという拷問があったそうです。それをただいつまでも繰り返すという仕事です。実にバカバカしい仕事というか、やっている目的がないので、むなしくなるでしょう。これでは人間は、普通気が狂い心の病気になります。目的のない生き方、分からない生き方、目的が間違っている生き方、これは普通空しくなるのです。

レビは税金を徴収していました。この時代の、彼の立場を少し説明する必要があります。当時の取税人というのは、イスラエルを支配していたローマによって割り振られた仕事でした。ですからイスラエル人は取税人のことを、ローマに媚びる売国奴だと思っていました。実際、取税人は自分の同胞のことを省みないで、不正な取立てをする人が多く、従って富を肥やしていたようです。しかしながら、彼らの心は貧しかったようです。同胞に嫌われて、不正な取立てをしてまで金を儲けて、一体何になるのだろうと思っていたでしょう。イエス様は、マタイ4:4で、「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」と言われました。ところが人は、非常にしばしば、また簡単に、お金の力に騙されます。ですから、使ったり、貯めたりするに沢山のお金がある時、あなたは自分が心の病気であることを知らないことがあります。レビは、自分の問題がどこにあるのか分かりませんでした。しかし彼は自分の人生に、何かが間違っていると感じていたしょう。ただ彼は、何故自分の人生がこう惨めなのか分かりませんでした。レビは、何かがおかしいと思っていたでしょう。これがレビの心の病気です。

多くの人々は、自分がこういう類の病気にかかってることにさえ気がついていません。事実、21節と30節に、よくあるこの例を見ます。そこにはパリサイ人と呼ばれる律法学者がおります。彼らは当時の、宗教的エリートでした。彼らは自分達の、生き方は正しいと信じていました。ですから、イエス様を非難しました。21節で、「神をけがすことを言うこの人は、いったい何者だ。神のほかに、だれが罪を赦すことができよう」とモゴモゴ言い、30節では、「なぜ、あなたがたは、取税人や罪人どもといっしょに飲み食いするのですか」と言っています。

心の病気の症状がこれです。まず彼らはイエス様がどなたかを理解しません。またイエス様が何をなさったかを、受け入れようとしません。ですから、いつもイエス様に対抗します。自分達が心の病気であることに気がつきません。律法学者の心の病気とはこんなものです。

イエス様は神なのです。イエス様は癒し主なのです。イエス様は多くの病人を癒されました。またイエス様は、数え切れない人々の心を癒され、暗闇から光に、死から命に移されました。

今日も、尚沢山の心の病気の人々を見ます。お金や豪華な暮らしを追及するということが、人々の心を惑わします。サタンは非常に巧妙で、人々をそういう盲目の状態においておくことに長けています。そして人々に、「エッ、神?」、「いったい何処に?」、「永遠の命?」、「関係ない」などと、言わせているのです。

考えてみてください、このサンホゼでいったい何人の人々がイエス様を愛していることか。日曜に礼拝に集う人が何人いるでしょう。人々は、イエス様がどなたか分からないのです。何をなさったのかを受け入れることが出来ません。そういうわけで、いつも人々はイエス様に背を向けます。人々は、知らぬ存ぜぬを決め込んだり、無視したり、拒絶したり、からかったり、あるいははっきり、「私はキリスト教はきらいなの」と言ったりします。自分の心の病気が分からないのです。

これを私たちは『罪』と言います。イエス様は、自分を十字架につける人たちのために、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです(ルカ23:34)」と言われました。

しかしながら、心の病気の場合でも、何らかの症状が現れるものです。レビも、そういう症情があったでしょう。罪意識、人生の虚しさなどです。そういう生活に決して満足できなかったのですね。ですからイエス様が、「わたしについて来なさい」と言われたとき、イエス様に何かを感じてただちに従ったのです。もしお金に未練があったら、彼はそうしなかったでしょう。ですから、心の病気の何らかの症状を感じている方は、幸いです。イエス様は近いのです。

あなたは如何でしょう?もしかしたら空しい心のうちにもかかわらず「私は大丈夫よ」と言われるかもしれません。しかし症情は、それに止まらず、夫婦間、親子間で、口論、ケンカ、別居、離婚、お互いの信頼はなく、平和もない・・・・ そういうものが表れてくるのも心の病気の症状と言えるでしょう。

よく知られたリバイバル・ミッションの滝元明先生が若い頃、彼が開拓伝道していたところに、製材会社を経営していた見城さんという方がおりました。見城さんの奥さま(すでに故人ですが)は、ある時、日曜学校をやっている若いクリスチャン夫婦に出会いました。それが若き日の滝元明先生夫妻です。その姿のけなげさ、清らかさにすっかり打たれました。自分はその若い夫婦より、うーんとお金を持っているのに、彼らのように平安がない。自分達夫婦は、夫婦と言っても信頼もなければ、平和もない、夫は酒を沢山飲み、乱暴でした。何とかお金ではなく、この夫婦のような関係を築きたいと願いました。そして長い話を短くすると、彼女はクリスチャンになりました。そうしたら夫は、「信仰をやめないと離婚だ」と言いました。奥様は祈りました。また長い話を短くすると、御主人もイエス様を信じたのです。結果、その家庭はすっかり変わりました。キリストにある平和が、その家庭を支配しました。彼らには12人も子供さんがいるのですが、全部がクリスチャンになりました。一人が心の病気に気がついて、それから癒されたことが、家族全員の大きな祝福につながったのです。

お金はあなたの幸せや、平和を保障しませんが、イエスさまはそれをなさいます。彼は心の病を癒し主です。そうしてイエス様は、あなたに生きる目的(神と共に生きる)を、お与えになります。

あなたが肉体的に病気の時、大体は何らかの症情があります。痛みとか、だるさとか、発熱とか、めまいとか・・・・、けれども注意しなければならないのは、時々なんの症状もないけど、病気だということが分かる場合があります。最近の医療機器の進歩は目覚しく、胃カメラは勿論、CTスキャンとかMRIとか、そういうものが検査に使われます。ですから、検査を受けると、自分では何の自覚症状がないのに、病気が発見されることもあります。

心の病気の場合も、自覚症状がない場合があります。レビにはありましたが、パリサイ人には、おそらく無かったのでしょう。そしてあなたも、「いや私はイエス様なしでもOKです」と言うかもしれませんが、それがすでにOKではないのです。自分で分からなくても大きな心の病気なのです。

イエス様は、「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です」と言われましたが、これは強烈な皮肉ですね。どこに心の病気でない人がいるでしょう?パウロは、「義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない。神を求める人はいない。すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない(ローマ3:10-12)」と言いました。もし、あなたが肉体的な病気なら、お医者さんにかかるなり、病院へ行くなりしなさい。それが一番適切です。私はある種の、極端な人たちのように、「医者や薬は必要ない。ただ祈れ」などと言う人には、決して組みしません。イエス様の時代であっても、人々は病気になれば医者にかかったのです(マルコ5:26など参照)。 信仰というものは、普通は大体常識的です。ただどの時代でも、お医者さんでもいくつかの病気は治せないものがあります。当時のハンセン病とか忠風は、そうだったのでしょう。今日医学は随分進歩して、昔は治らなかった病気も治るようになりました。ハンセン病とか、結核などもそうですね。

とは言え、尚、難しい病気があります。それではそういう病気になったら、もう望みはないのでしょうか? いいえ、尚、望みがあります。何故かなら、イエス様が肉体の病の癒し主だからです。ですから、そういう時には、祈るべきです。勿論、お医者さんのところへ行っても、お医者さんの技術のために祈るべきです。

それでは心の病はどうかと申しますと、これはなかなか治療が難しいものですが、それで皆さん様々な治療法をいわれます。けれども根本的にはイエス様だけによって治療が可能です。ただイエス様を、あなたの救い主と信じることです。これで、死んでいた霊が生き返ります。そして魂も含めたあなたの心が作り変えられます。それで心が癒されるのです。この方法は、全く治療費というコストがかかりません。まさに福音、グッド・ニュースです。

どうぞ覚えてください。イエス様はあなたの罪のために死なれたのです。ですから、ただあなたが、それを信じるだけで、その罪が赦されるのです。預言者イザヤは、このイエス様の時代よりも、700年も前に、このイエス様のことを預言しています。

まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた(イザヤ53: 4-5)」

もう一度申し上げます、福音はタダです。イエス様があなたの代わりに、ご自分の命という代価を払って下さっているからです。ですから、私は、あなたがイエス様をあなたの救い主であると、まず信じるようにお勧めします。その時、あなたの心の病は完全に癒されます。あなたの死んでいた霊が生かされるからです。あなたには、永遠の命が与えられます。あなたは幸せで、平和を得ます。配偶者も子供も、幸せと平和を得ます。あなたは人生の目的を知ります。(イエス様と共に歩む)

祈りましょう。