2006年6月18日
「ラヴォロジー(4)」
妻の両親
先週、約18日間の日本訪問の旅を終えて帰米しました。妻は四人兄弟の末っ子ですが、横浜に今年92歳になる両親が揃って生きておりますので、年に一回は日本を訪問しています。もっともこの両親は、床についてもう先が短いと言うような状態でもなく、また二人とも老人特有の症状などは全くなく、目も耳も大丈夫、記憶も話もクリヤーに分かる人たちなので、18日間全部横浜にいるというのではなく、実は両親の家にいたのは帰米する三日前からの二泊だけで、あとは私の旅と同じで、日本中の教会を訪問し、聖書を語り、カリフォルニアの星教会の働きを紹介し、祈りや支援を訴えるという通常の宣教師の働きでした。訪問を受け入れてくださった教会には、心から感謝いたします。
とは言え何と言っても今年は92歳、近年は弱くなってきているのは否めません。今年の冬、母のほうが転んで腰の骨を折りました。年齢と健康を考慮し、手術をするかどうかで話し合われたようです。普通こういう年齢ですと歩けなくなるケースが多いのだそうですが、母は手術をした後、歯を食いしばってリハビリをしたそうです。今回家内が訪問したときには、よろよろとですが、歩けるようにまでなっていました。
私たちはこの家を訪問すれば、必ずイエス様のことを話します。ただ妻は末っ子で、この両親と一緒に住んでいる兄夫婦もおり、この両親に伝道することはこれまでなかなか骨がおれる仕事でした。そして両親達も「やっぱり近所の付き合いもあるから」とか言ってはぐらかしておりました。兄夫婦はおそらく両親より先に逝くとは思いませんから、まだ信じるまでに時間がありますが、両親の場合は、もう本当に一日一日が天国へ行けるかどうかの勝負の時です。それで私たち夫婦も、兄からは嫌がられても、伝道するのです。ところがこの四月に、娘のキャロルが日本に行った時、この母と(キャロルにとってのおばあちゃん)と話した時、「お前のお母さんに是非来て欲しいと伝えて欲しい」と言ったそうです。
妻は、何かあったと感じて両親を訪問しました。母は今回、妻に話しました「わたしゃ、あの手術のあとは、もうあんまり痛かったので祈ったのさ 『イエスさま、早く天国へ連れてってください。あなたを信じます』とね」と。そして退院してから父に「ねえ、おじいさん、わたしゃ充江が言っている天国へ行きたいよ。どうするの?おじいさんは?」と父にせきたてていたそうです。父は、「ヘッヘッヘ」と笑っていたそうですが、母はかなり真剣だったようです。今回の旅では、妻はこの母の言葉には本当に慰められたようです。
アメリカに住んでいる私たちは、そうしばしば両親を訪問して伝道することは出来ません。親の死に目に会えるかどうかだって、これは分かりません。何故なら「危ないから戻って来い」と緊急電話を受けたところで、航空券を確保して、アメリカから出発するフライトの時間のことを考えたら、成田に行くのに最短でも36時間はかかるでしょう。そして日本では、亡くなるとまず二日目には荼毘にふされるケースが多いようですが、そんなに早くては我々は、親の死に顔さえ見えないかもしれません。アメリカでは、遺体は冷蔵庫に入れますから、少なくとも家族が十分に対面するまで(ヴューイングと言う)は、埋葬はしないでしょう。アメリカは広く、家族は西から東から集まりますから、遺体は最短でも4−5日は冷蔵庫の中にあるでしょう。ヴューイングの時には、遺体は冷蔵庫から何時間から引き出されて対面します。
まあ、そういうこともあって今回、生きているうちに、妻が母からだけでもそういう話が聞けたことは慰めでした。私どもは、決していわゆる『セカンド・チャンス』を信じるものではありませんが、この両親が、なんとか天国に入れるようにと願っております。
実は、ラヴォロジーに関するところはこれからです。
私は妻と出会ったころからこの妻の両親の関係を知っています。とにかく私が最初に出会った時が、現在の私の年齢(57歳)くらいでしたが、この時代、この年齢の人たちで、こんなにアツアツのカップルを見たことありませんでした。共に大正3年生まれの両親は、横浜の米屋で働いていた店員と配達員で、熱烈な恋愛の末結ばれました。その話を、当時若かった我々の前でものろけて話しました。戦争中、すでに二人の子供がいたのですが、この二人を残して父は軍属としてインドネシアに参りました。小さな子供を抱えて母は、夫の帰りを心待ちにしていたそうです。やせこけていたそうですが、無事に帰ってきた父の姿を見つけた時の母の感激はどんなだってしょう。私にとってもよかった。無事に帰ってきてくれたので、私の妻がいるからです。彼らは何処に行くにも一緒でした。それに母は案外おしゃれで、装飾品や貴金属などが好きでした。父は、誕生日とか結婚記念日にはちゃんとそういうものをプレゼントしていました。勿論オフトンもダブルフトンでした。私のサイドの田舎の両親はフトンを二つ敷いて寝ておりましたので、最初妻の両親がこのダブルフトンに包まって寝ている姿を見た時は驚きました。そればかりではなく、彼らはお風呂にも一緒に入っておりました。そして言うことが奮っていました、「二人で一緒に入れば早く片付く」ですって。
親のそういう先例があるので、私たちも結婚した時は、なんの躊躇もなくダブルフトンを買いました。アメリカに来てからは、勿論フトンではなくベッドです。アメリカの夫婦は普通ダブルベッドですからあまり違和感はありません。ただダブルベッドで夫婦が二人で寝ているかどうかが問題です。夫婦の関係が冷めてくると、一緒に寝たくなくなります。(これは一つの傾向であって、イビキが大きすぎてパートナーが一緒に休めないとか、色々な事情で一緒に寝ないケースもあるでしょう。ですから別々に寝る夫婦が、必ずしも問題があるという意味ではありません。) ただ、一つの傾向として、仲の悪い夫婦は、別々の床(ベッド)で寝始めます。やがて、同じ屋根の下でも、別の部屋で寝るようになります。やがて別居するようになります。そして離婚というプロセスをたどります。
夜、二人でベッドに楽しく入れないのは何か問題があると思いませんか。実は私の妻は最近一緒に寝ていて、「いびきがうるさい」と言って、私の鼻をつまむことがあります。しかし、やはり別々に寝ることはしません。また妻は、冬になると、カバーやブランケットを、いわゆるフトン巻きのようにして寝る傾向があります。朝方になって、私が「どうも寒いなあ」と目を覚ますと、妻のほうがカバーやブランケットをグルグル巻きにして寝ていて、私には掛かっていないのです。「無意識のうちにやっているのよ」と申します。それで「冬の間は、別々に寝ましょうか?」と言いますが、まあ、それでも別々に寝ることはしません。
一緒にいることが、億劫になってくるのは、ちょっとおかしいと思います。「四六時中、妻の顔をみてなきゃならないなんていやだよ」などという夫たちがいます。「私もいつもダンナと一緒だなんて、マッピラだわ」などという妻たちもいます。どうして?愛しているのでしょう?愛しているのなら、いつも一緒にいたいと思わないの?私たち夫婦は、いわゆる仲の良い夫婦と言う点では、そばに両親という素晴らしい例があったことは幸いでした。
最近、私たち夫婦で話すのは、「ねえ、横浜のお父さんとお母さんは、どちらかが逝ったら、もう一方も早いわよ」ということです。おそらく、そうなるでしょう。92歳ですから、年齢的にはもういつでも Ready ですが、願わくば、なんとか天国にも、夫婦そろって仲良く行って欲しいものだと願っています。