2006年8月6日

「原爆記念日」
  

 61回目の原爆記念日です。61年前のこの日の朝、広島に世界で最初の原爆が投下されました。一瞬にして5万、その年の終わりまでに20万とかの人が死にました。それにしても投下したアメリカは、事前にこれほどまでの惨劇を想像できたのでしょうか。「原爆投下成功!」??? 成功ですって?これはジェノサイド(無差別虐殺)です。アメリカでは、戦争を早く終結するために必要であったという意見が大勢を占めているようです。しかし、私は決して、このジェノサイドを許容することは出来ません。「日本もジェンサイドをやっただろう」という、対抗で語られることがありますが、どんなジェノサイドでも許容されるはずがありません。だから、広島、長崎の原爆は許容できないのです。あの時、広島に続いて、長崎にも落とされました。ただ、日本だけが、戦争によるこの原爆の被害を体験したのです。それ以来、戦争における武器としては、一度もこの原爆は使われていません。人類が、これ以後、多少、この武器の恐ろしさを認識したのかもしれません。

  私は高校二年の修学旅行の時、広島へ行きました。原爆資料館にも行きました。あの頃は、まだ実際負傷した被爆者がおりまして、原爆資料館で昔の出来事を重苦しく説明をして下さった婦人も、私たち生徒の目に入る、首のあたり、両手にはケロイドが残っていました。「二度と過ちは繰り返しませんから」という、平和記念公園広場に刻まれた誓いに対して、最近は誰が主語か分からないというような、議論があるようですが、これは全人類の誓いでなければならないと思います。

  私たちは、二人の子供に、是非広島を見せておきたいと考えまして、あれは1999年でした、家族で広島を訪問しました。私たちの子供は、二人とも殆どアメリカで育っており、アメリカの教育を受けています。しかし、原爆資料館を見た時のショックは相当なものだったようです。あれ以来、私たちの子供は、非核ということに対して、本当に目が開かれた感じがします。あそこの説明書きが日本語だけでなく、全部英語で記されていたのが本当によかった。私は思いますが、日本語と英語だけでなく、出来るだけ多くの言語で、説明がなされていたら良いと思います。ことに、近隣の国々の人々のために中国語、韓国語は必要でしょう。私は、我が家の子供達の家族も、その次の世代も、またその次の世代も、どこに住んでも、日本を訪問する機会があったら、広島だけは必ず行って欲しいと思います。

  ところが残念なことに、この原爆の恐ろしさをあんまり考えないで、丁度クレージーが刃物やガンを持つように、原爆を弄ぶ感じの国が増えてきた感じがします。私は今、アメリカに住んでいます。こんなことがあってはいけないですが、それでも「もし」という言葉を使うなら、もし次にどこかの国が原爆を投下するとするなら、その被害を蒙る国はアメリカではないかと思います。

  広島と長崎に原爆が投下された時、ふたつだけでなく、日本には、東京も含めて、五つも六つも原爆が落とされたらよかったのにと考えた人たちがいたと、聞きました。もしかしたら、今でも、そう考える人たちがいるかもしれません。あの、『9・11同時多発テロ』でニューヨークのワールド・トレード・センターが崩壊した時、拍手喝采した人が随分いたようですから、アメリカに原爆が落とされるなら、もっと喜ぶ人たちがいるのは想像できます。あの時、広島に原爆を投下したB−29爆撃機、エノラ・ゲイ号は、広島に原爆を投下したあと、自分達は一目散に避難しました。現代では原爆を持ってもミサイルという運搬手段がないと使い物にならないといわれます。しかし、クレージーな彼らにとっては、大陸間弾道ミサイルなどは必要ありません。原爆資料館で、広島に落とされた原爆の模型を見ました。あれくらいのサイズなら、通常の運搬方法を使い、つまり民間の船や飛行機に乗せて原爆をアメリカに運び、破裂させる時は、自分達が避難する必要はないのですから (最初から自爆するつもりだから)、もっとも確実です。このパターンで、次の原爆が、アメリカのどこかで炸裂するのではないかと危惧しています。

  多くの人々がまだ、原爆の恐ろしさを認識しておりません。被爆者は、世代を超えて苦しみます。戦闘員、非戦闘員の区別なく被害を受けます。勿論、国籍の違い、男女の性別も、お年よりであろうと病気の人であろうと、小さな子供、それはまだミルクを飲んでいる赤ちゃんですら、そういうことには一切関係なく、焼けただれ、うめき、渇き、死ぬのです。その時、死ななくても、被爆の程度に応じて、白血病、ガンなどにかかりやすくなります。

すでに被害に遭っている日本は言うに及ばず、アメリカでもしかり、今、核で大きな問題を抱えている、イランや、北朝鮮であっても、地球上のどこにおいても、核爆弾は二度と使われるべきではないのです。あの広島と長崎で終わりにせねばなりません。何とか、人類は知恵を出し合って、この核の廃絶に向けた取り組みをすべきであると、私は思います。

核の問題は、しばしば政治問題になりやすく、教会はそういう政治問題を取り上げないほうが無難かもしれませんが、私はアメリカにいても、やはり8月6日になると、広島を思いださざるをえないのです。

 

その他のニュース

 

先週、マイナーのサンホゼ・ジャイアンツの試合について、報告すると申しましたが、その報告は、やはり今週が8月6日であることに鑑み、この欄での報告を避けます。その報告は、私たちのウェブ・ページ、

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