2006年8月20日
「ラヴォロジー(5)」
私の両親は戦中派で、(戦中派の定義は定かではありませんが、取りあえず戦争の体験者としておきましょう。男子なら実際に参戦した人、女子なら女史挺身隊とか、軍需工場で働いていた世代の人たちです。私の父は、海軍で参戦し、母はまさに軍需工場で働いておりました。) 恋愛などということがご法度の時代だったようです。母は、旧制の中学にいっている間は、殆ど勉強らしい勉強は出来ず、イモつくりなどの作業ばかりだったそうですし、卒業(?)後は、軍需工場でした。
その母に聞いたのですが、母の在学中に一人の女子学生が、男子学生にラブレターらしきものを送ったようです。そのことが発覚した時、この女子学生はいっぺんに退学処分になったということです。これから戦争にでかける男子学生に、この世に未練を抱かせるようなラブレターを出すなどということは、当時はご法度だったのです。
ポイントは、そういう時代に生きた人たちであることが原因してか、この世代の人たちは、私の両親も含めてどうも愛情表現が貧しいのですね。愛していても、「愛しています」などと口に出すことは、なかなか出来なかったのかもしれません。母によれば、だれに嫁ぐかなどということは、殆ど親達の意見で、結婚前に将来の夫から「おまえのことを愛している」などと言う言葉を聞くのは、「そんなバカな」と言われるくらい可能性はなかったようです。父の方に尋ねると、「とろくさいこと聞くな」と申しました。これは岐阜の方言で、「バカなことを聞くものではない」、という意味です。もっとも、そういう形であっても、彼らが結婚してくれたので私があるわけで、これは本当に『摂理』というもので、主が二人を合わせてくださったことには感謝しています。(この節、この『摂理』という言葉は、使うことに抵抗を感じますが、しかし本当に、あの人たちは困った人たちですね。)
けれども、あの戦争が終わってもう60年を超えているのです。テレビや映画、あるいは雑誌、小説、ありとあらゆるところで、非常に頻繁に、愛情表現が示されています。ところが、いまだにそういう愛情表現が下手な人がおります。これは日本人の特徴かと思ったのですが、アメリカ人の中にも、なかなかあんな映画のようなロマンチックな愛情表現が出来ない人がいるのですね。日本では、まだお見合い結婚というのは市民権をえていると思います。「ノー」と言う権利が非常に強くなり、あんまりポピュラーではなくなったとは言え、だれかにお相手を紹介されることは、まだなされていると思います。ところがアメリカの人たちは、そういう機会が殆どありませんから、デイトにさそい、そこで 「I love you. Please marry me. (愛しています。結婚してください)」と言えない人は、結婚のチャンスがほとんどないでしょう。ですから、日本のお見合いという制度を、「いいなあ、日本は」と言うアメリカの人がいるのです。
しかし、いづれにしても言えることは、恋愛とか、夫婦の関係を円満に保つために愛情表現(Affectionate expression)は、非常に効果的であるばかりか、大切な要素です。
愛情表現の乏しいと思われる人は、(これは私の思いですが) 相手に何か、高価なものを買ってあげるということで、愛情表現をを考えるより、ただ一言の愛の言葉をいい切る訓練をしたほうがいいと思います。明治31年に生まれで(注意してください。昭和ではなく、明治ですよ。) たった30年の短い生涯でしたが、イエスさまに出会った八木重吉という詩人がおりました。彼はその詩の中で、「まずひとつの愛のことばを言いきってみよう」と言っています。この詩のコンテキストとは違うかもしれませんが、愛情表現と言う点では、まったく通ずるところがあります。そして、この八木は、詩で妻に対して彼の愛情を表現しております。
妻よ
わたしのいのちのためにのみ おまえが生くるときがあったら
妻よ わたしはだまって命を捨てる
如何でしょう? こう言われて感動しない妻は、超鈍感のアンポンタンでしょう。
八木のように詩を書けと言っても、これは才能の問題ですから如何ともしようがありませんが、愛の言葉は言い切ることが大切です。
いまだに『男はつらいよ』の寅さんを持ち出して、申し訳ありません。もっとも、原作は山田洋次監督なのですが、その最後、第48作『男はつらいよ・寅次郎紅の花』で、後藤久美子演じるイズミちゃんの結婚を妨害した、吉岡秀隆演じる満男が、寅さんとリリーさんがいる、奄美大島へ行きます。式をメチャクチャにされたイズミちゃんは、奄美大島にまで追いかけて来て、満男に 「なんであんなことしたのよ」と詰め寄ります。すると、満男は「それは、ぼくは、ぼくは、イズミちゃんを・・・・」と言うのですが、そのあとが聞こえない。イズミちゃんは「私を, なんなの? ねえ、言って、言って」と言うのですが、満男はなかなか、「愛しているから」が言えない、何度も詰め寄られて、やっと「愛してるからさ」と言う言葉が出るかでないかで、海の中にコケるのです。それを見ていた寅さんは、「あーあ、みっともない」と言いますが、リリーさんは、「恋愛というものは、みっともないくらいがいいのよ」と言います。
三浦綾子さんの本を読んでごらんなさい、どれほど御主人の光世氏が、「綾子は素敵だ」 「綾子はめんこい〈可愛い〉」と言っておられたかが分かります。お二人で散歩する時は、必ず光世氏は、綾子さんの背中に手を当てて、散歩していました。「いい歳をして、とみえるでしょうが、これは手当てともうしまして、こうすると綾子が楽なんです」などと言っておられました。が、その様子は、実に奥様を労わっているという感じがしました。
「どうも、われわれの関係はうまくないなあ」と思ったご夫婦は、まずご主人よ、「君を愛している」という言葉を言い切ってごらんなさい。その時、女性の側は「なに言ってんのよ、オトーチャン、いまさら」などとふざけないようにしましょう。みっともなくても構わないから、愛のことばを言い切ってみましょう。