2006年9月24日
「親の問題」
『子供の倫理観 問題児の陰に問題親あり』と題した社説がありました。(以下、産経新聞9月19日の社説)
月刊紙「高校生新聞」の高校生のモラルをめぐる意識調査の結果は、若い世代の倫理観の現在を浮き彫りにしている。「教室で休み時間に化粧をする」ことや「友達と酒を飲む」をしてはいけないこととして挙げなかった者が、それぞれ全体の64%、48%もいた。規範意識の崩れどころか、これらの行為がなぜ自分たちにふさわしくないのか、まるで分かっていない高校生が増えていることを、この数字が証している。・・・・日本人はなぜにここまで精神の背骨をなくしてしまったのか。・・・子供は大人の鏡と考えれば、いま子供たちに起こっている道徳意識の欠如や、すぐキレて暴力に訴える現象は、子供たちの問題であると同時に親の問題・大人の問題であることは明白だ。問題児の陰には「問題親」がいるのである。
と言い、最後に、「親の親たるを知らない親の増えることは社会にとって一大不幸である。
衆知を集めて、親らしい親を育てる「親学(おやがく)」、それを教える「親の学校」というものが考えられないか、論議のわき起こることを期待したい。」と結んでいます。
「子供は親の背を見て育つ」ということは、常識的に考えても当たり前です。とんびが鷹を産むこともまれにはあるかもしれませんが、大体とんびはとんびを生むのです。きつい話かもしれませんが、現実の問題として、倫理的におかしい親からは、倫理的におかしい子供が育つということは、コモンセンスで考えても分かりそうなものです。ただ、この社説の最後には、「衆知を集めて、親らしい親を育てる「親学(おやがく)」、それを教える『親の学校』というものが考えられないか」と、その決定的親学がまだ分からないことを暴露しています。
聖書では、十戒で「父を母を敬え」と教えますが、時々「あんなひどい親でも敬わねばならないのですか? 私たちはあの親のために、どれほど傷つき苦しめられ、苦労しなければならなかったか御存知ないから、そういうことが言えるのですよ」という人の話を聞くことがあります。私はそういう時には、重い答え方ですが「そうです、聖書は、『尊敬するに値する父母を敬え』、とは言っていません。ただ『父と母を敬え』、と言っています」と答えるのです。私の友人の牧師で、少年のころは叩かれ殴られ、虐待されていた人がおります。彼はイエス様に出会う前は、決して父親を尊敬することは出来ませんでした。しかし成長して、教会に行き、「天のお父さま」と祈ることを通して、肉の父親に対する思いが変わったのです。してもると、「父と母を敬え」というメッセージは、あなたがまず天の父を知るためにある教訓だと言えるでしょう。天地万物をお造りになった、父なる神だけが、あなたを、どんな父母をも敬わせてくださる人格に作り変えてくださいます。
また親については、聖書は「父親たち、子供を怒らせてはなりません。主がしつけ諭されるように、育てなさい(エペソ6:4)」と教えております。私は自分の子育ての期間を考えても、「あの時は、もうちょっとああすればよかった」と思うことがあります。「主がしつけ諭されるように、育てなさい」とは、とても主に対する信仰なしには出来ません。
子供は自分が生まれる環境を選択できません。飲んだくれで、女たらしで、仕事はしない、博打もやり、ドラッグもやる、母親や子供には暴力も振るう、子供がこういう家庭で育っていますと両親が仮に離婚しないとしても、アメリカでは子供はまずフォスター・ケアーに回されるでしょう。教育する資格なしとみなされるからです。クリスチャンの親たちは、今こそ信仰を持って、子供の立派な見本になりましょう。一生懸命勉強する、仕事をする、ボランティアをする、善行を積む、子供に教えることはたくさんあるでしょう。しかし、クリスチャンは教育の根本が、「主を恐れることは知識の初めである(箴言1:7)」と言うことを知るべきです。まず第一は、子供に信仰を教えること、これがすべての倫理の根本です。子供の讃美歌に、「こどもよどこを見てる、こどもよどこを見てる、気をつけなさい、天から見てるお方がいるのですよ」というのがあります。しかし、これはまず親に対するメッセージです。親が神を恐れ、敬虔になり、誠実に礼拝を守り、家庭でも礼拝をもち、必ず毎日聖書を読み、主と交わる時を聖別する、こういう見本を見せないで、子供が信仰を受け継ぐなどということは、非常に難しいのです。残念なことにある子供は、片親で育ったり、フォスター・ケアーで育たねばならないこともあります。これも子供の責任ではないので、子供は可哀想です。しかし水上勉という小説家はこういう趣旨のこと言いました、「失ったものを嘆かないで、むしろいまあるものを見つめて明日に向かおう」と。フォスター・ケアーで育っても、片親で育っても、その子供に影響を与える人が信仰深い人なら、きっとそこで育つ子供も信仰を受け継ぎ、立派に育つでしょう。
ですから、まず親が、子供に対する完全な教育原理と、不完全な親にも完全な教育力を与える源の、イエス様にある信仰を持つことが大切です。
世の中の人々は、親学を知りません。しかし信仰者は、クリヤーに知っているはずです。子供に対して立派な教育が出来ないはずがありません。信仰を持って、思い切ってしつけましょう。