2006年11月19日

「カウンセラー」
  

  リバイバル新聞でしばらく連載されていたルーク・カラサワ先生のことを、とあるルートから妻が知って、『ダイレクト・カウンセリング』という言葉を学びました。カラサワ先生は、「真のカウンセラーはイエスさまのみ」と言われます。彼自身、東大医学部出身でサイコロジー関係の論文で博士号を取った方で、そういう知識で裏打ちされ、さらに信仰者としての彼のダイレクト・カウンセリングに関する教えには説得力があります。
 
  カウンセリングの質もさることながら、そのカウンセラーの資質も大きな問題です。日本と違って、堕胎が合法的であるとは言え、まだまだ日本とは比較にならないほど、アメリカでの堕胎には倫理的なプレッシャーがあります。ですから堕胎の処置をするクリニックには、ふつうカウンセラーがおります。そういう中絶クリニックのカウンセラーというのは、クリニックまで来ても、どうしようかと迷っている少女や婦人に、いかに素早く中絶を決心させることが出来るかということが、良いカウンセラーかどうかの目安です。彼らは、「あなたはレイプでみごもったのだから、あなたの責任ではないのよ。心配いらないわ」「愛のないところで生まれてくる子供のことを考えてみなさい。それは不幸だと思うわ」「現在の経済状況で、生まれてくる子供が幸せだと思う?」「御主人が要らないと言っておられるのでしょう?それで生んだら、夫婦の間に亀裂が入るのでは?」・・・・などと、 胎児に関してありとあらゆるネガティヴな情報を入れ込んで、「分かりました。そうします」となるべく早く言わせ、書類にサインさせるカウンセラーが良いカウンセラーなのです。
  
  こうして見ると、クリスチャンがカウンセリングを受けるとき、カウンセラーが聖書に通じた信仰者であるということは非常に大切です。ただ私は、信仰者で牧師ですが、それでも個人の個々の問題に対して助言をするということは、非常に慎重にならざるを得ません。強いて言うなら、ダイレクトに聖書の御言葉から、カウンセリングを受けてもらえたら一番だと思います。しかしそうは言え、人々がカウンセラーの助言に頼りたいと思うのはしばしばです。そんな時に、先の中絶クリニックのケースでも分かるように、カウンセラーの助言がそのクライエントの決断に大きく作用することは、多くの場合事実です。つまり、誰に相談するかということは、その決断を大きく作用させると思います。

  この世の結婚カウンセラーは、「ウーン、見込みないですね。離婚がベストでしょう」と言うことがしばしばあるでしょう。しかし同じケースについて、ダイレクト・カウンセラーがそう助言されるかどうかは、分かりません。ダイレクト・カウンセラーに聖書を通して助言を求めることは、一番確かです。

  けれどもクライエントにそういう余裕のない場合が多いですから、不完全であっても人間のカウンセラーに頼ることがあります。その時には、そのカウンセラーの聖書信仰者という資質は、大きく問われるでしょう。

  私たちは小さなグループですが、それでも本当に離婚の多いアメリカに住んでいて、時々聞かされるのは、「イシハラ先生たちは、離婚したものの苦しみが分からない」です。私どもは離婚の経験がありませんから、確かにそう言われればその通りです。しかし私は思うのですが、離婚した人たちが、同じような経験者のほうに引かれる場合、しばしばその傷をなめあっているだけという場合が多いのですね。それが将来の幸いな生活につながるでしょうか。確かに、「あなたの苦労は分かります。私も同じようなところを通ったから」と言われるなら、親近感を覚えるでしょう。しかしいつまでもそうやって、お互い失敗したことを話して慰めあい、いたわりあっているより、むしろ将来の幸いな人生の秘訣を、結婚に成功している人に聞くほうが理に適っていると思いませんか。

  クリスチャンが信仰的なことのために、ノン・クリスチャンや、あまり信仰的でないクリスチャンに助言を求めることほど残念なことはありません。それは丁度、どうしようかと迷っている婦人が、中絶クリニックでそこにいるカウンセラーに相談するようなものです。1コリント15:33には「思い違いをしてはいけません。友だちが悪ければ、良い習慣がそこなわれます」とあります。これは私たちが日常に聞く格言の中にもあります、「朱に交われば赤くなる」と。

  なかなか日曜の礼拝が守れないで悩んでいる人が、普段全然礼拝にでていない、「いわゆるクリスチャンと呼ばれている人」に助言を求めるなら、「悩むことないよ、信じているならクリスチャンだから。教会に行かなくても大丈夫だ」という助言を受けるかも知れません。あるいは「牧師は、献金が欲しいから、礼拝に参加しろとうるさいのさ」と助言されるかも知れません。使徒17章にベレヤの人たちのことが出ています。そこには、「ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた」とあります。人生でクリティカルな問題にぶつかると、人々はしばしば自分の願っているような助言をしてくれる人を期待して、話を聞いてもらう傾向があります。そして、自分が願っているような助言だと安心します。けれども聖書を調べて、聖書からのダイレクト・カウンセラーの助言を最終助言とする勇気を、いつも持ってください。

  人間は一人では生きて行けません。誰かと交わり、誰かからアドヴァイスを受けますし、しばしばそれは本当に必要でしょう。そのアドバイスが自分を主にあって、正しい方向に導いてくれることを期待するなら、そのカウンセラーが、いかに信仰深いかは、非常に大切な要素です。そして、その助言が適切かどうかは、いつも神の言葉である聖書によって判断されます。