2006年11月26日
「み神は城なり(聖歌233)」
作詞 マルチン・ルター 1483-1546
主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら 詩篇182篇
マルチン・ルターは、1483年11月10日、ドイツの、サクソニー、アイスレーベンというところで生まれました。エラフルト大学で教育を受け、それからアウガスチヌス派の修道士になり、ウィッテンベルク大で、哲学と神学を教えました。1517年10月31日、この日は時々プロテスタントの独立記念日とも言われますが、マルチン・ルターは、ドイツ、ウィッテンベルク城の壁に95か条の、提言を貼り付けました。これらの提言は、ローマ教会の教えや信仰実践に対して、非難を加えております。その後数年にわたるローマ教皇やそのほかの教会指導者との、嵐のような論争を経て、マルチン・ルターは最終的に、ローマ・カトリック教会から破門されました。1520年のことです。
宗教改革運動の大きな収穫のひとつは、会衆が歌うということの再発見であります。ルターは、神聖なる音楽の使用とその力について、非常に強い自覚を持ちました。彼はこの自覚について、次のように表現しています。「どんな人でも、すべての熱狂者がやるように、音楽を蔑ろにするような人は、私の好みではありまぜん。というのは音楽と言うのは、神の恵みと賜物なのであり、人の発明ではないのです。それはつまり、悪魔を放り出して、人々を喜びで満たします。その時人は、怒り、不純さ、またその他のたくらみを忘れます」
さらに、「悲しみに満ちた不安や、果てしない問題の創始者である悪魔は、この聖なる音楽を前にすると、まるで神の言葉を前にしたように逃げ去ります。」 またある所では、「私は、聖なる歌を作りたいものです。そうすれば神の言葉が人々のうちに住まわれます、またその歌の歌詞によっても」と言い、 最後にルターは、「私は、正しい、聖なる歌についての使用法とその力の知識なしには、誰に対しても神の民に説教したり、教えたりすることを認めません」と書きました。
プロテスタント宗教改革の最も力強い聖歌のひとつは、この詩篇46篇から作られた、ルターの『み神は城なり(英題・A Mighty Fortress Is Our Lord)』です。この歌は、人々の戦いの雄たけびに、また力と霊の源泉になりました。それはその良心のため殉教した人々にとってもです。この賛美は、実際的にはまず殆どの言語に翻訳されており、キリスト教賛美の、最も高貴な、古典的な模範のひとつとみなされております。英語だけでも、最低でも60はくだらない翻訳があるといわれています。この国(アメリカ)では、ハーバート大教授のフレデリック H.ホッジのものが一番用いられておりますが、英国では、トマス・カーライルのものが、一番一般的に使われています。このホッジの翻訳は、1852までありませんでしたが、1853年に出版された、W.H.ファーネスによって出された『Gems
of German Verse』という賛美歌集によって世に出ました。このドイス・プロテスタントの国民的賛美の第一節は、ウィッテンベルグにある偉大な宗教改革者の墓石に、彫りこまれており、その歴史的場所を訪れる旅行者達に感激をもって、なお読まれています。
Kenneth
W. Osbeck, 101 Hymn Stories, Kregel
Publications, Grand Rapids, Michigan, 1982
PP.14-15 エイブ・イシハラ訳
イシハラ評: 私は、オズベック氏の『101讃美歌物語』の、上下二冊をもっており、時々この欄で、拙訳で紹介しています。今回のルターの賛美は知っていましたが、オズベック氏が、どこからの引用か、ルターが書いたこととして、”I
would allow no man to preach or teach God’s people without a proper knowledge
of the use and power of sacred song.” としているのには驚きました。「私は、正しい、聖なる歌についての使用法とその力の知識なしには、誰に対しても神の民に説教したり、教えたりすることを認めません」と言った意味でしょうが、果たして私ども説教者は、今日、ルターが言うほど、讃美歌の使用法とその力について、正しい知識をもっているだろうかと思ったのです。