2006年12月10日
「家庭集会」
一つのローカル・チャーチで、一人の伝道者が説教して、人々を集めるというような芸当は、なかなか出来るものではありません。というのは、数がちょっと集まってくると、必ずほころびが出てきまして、はじけるということになりがちだからです。そういうわけで、いつまでたっても、家庭集会の域を抜け出せないということになります。
伝道は、人々を教会に連れてくるものだと考えている向きがありますが、一番バイタルな伝道は「行って」とか「出て行って」が原則ですから、まず物理的に出て行くことが、大切です。新約聖書では、イエス様のお弟子さんたちが出て行った記事を沢山みます。(マタイ9:31,21:6, 22:10,28:19, マルコ16:10, ルカ8:39, 9:60, 10:3 などなど)。ただ、 現実的には、全くの知らない人に、飛び込みとかで、福音を語るなどということが出来る人は、かなり限られているでしょう。ただ覚えておいて頂きたいのは、そういう飛び込み伝道を、「モルモン」の人達や、「エホバの証人」の人達は、このアメリカにおいてでも、実に熱心にやっていますし、それで新しい信者を獲得しているのです。
しかし、ここでは、皆さんにかかるような大胆な伝道を展開するように勧めているのではありません。物理的に出て行かなくても、霊的に出て行くのでしたら、……・それはまだ福音を知らない人に、福音を紹介するというのは、極めて霊的に出て行っているのです。
例えば、「ネームレス運動」で知られる個人伝道では、「教会に誘うな」が原則です。そして「彼ら(未信者)の土俵へ行け」ということが言われます。実際にネームレスの伝道をしている人に伺ったのですが、確かに彼らの家に行って福音を語ることもあるようですが、職場とか学校とか、あるいはスタバとか、そういうところは、場所としてはお互い50/50 ですから、そう気負う必要はな いでしょう。
しかし、それでも負担が大きいと考える人たちは、自分の家庭を解放することを考えてください。家庭集会です。実際、今日、成長している教会は、その教会堂以外に、実に多くの伝道ステーションを持っています。この発想は、私の場合は、ヨイド純福音教会から学んだのが最初だと思っていましたが、実はそうではなく、私が聖書学校を卒業して、最初に遣わされた浜松キリスト教会ででした。当時の浜松キリスト教会の牧師は、菊地隆之助先生でした。浜松教会の場合、週間に少なくとも、3回の家庭集会がありました。木曜は祈祷会がありましたから、火、水、金は、どこかの家庭で集会があったように記憶しています。片桐家集会、堀内家集会、山本家集会が定例で、積志というところでも、しばらくやった覚えがあります。あの当時、菊地先生は教団の総理に就任し、東京出張が多く、週間の集会は、もっぱら隆之助夫人の恵子先生と、若い私が担当でした。
その後しばらくたって、ヨイド純福音教会の区域集会を見学しました。浜松での家庭集会と、ヨイドの区域集会の一番の違いは、その家庭集会を指導する人が、教会から遣わされた専門の伝道者か、信徒か、という点です。ヨイドの優れている点は、区域長と呼ばれるその家庭のホストが、あるいはそこに集まる人々が、実に伝道熱心で、新しい人たちをその家庭に導いていたこと、さらにそこで御言葉を語るのが、教会から遣わされた伝道者ではなく、信徒のリーダーであることです。
今日、スモール・グループとか、ミニ・チャーチとか、セル・グループとか、さまざまな呼び方で、こういう集会が呼ばれていますが、一様に言えることは、伝道のステーションが教会堂ではないということ、つまり教会は、教会以外に伝道のステーションを持っているということです。
新約の教会は、おそらく多くが家庭から始まったでしょう。使徒10章のコルネリオの家は、家庭集会でしょう。16章のルデヤの家でも、福音が語られたでしょう。17章のヤソンの家でも、18章のアクラ・プリスキラの家でも、テテオ・ユストの家でも、福音が語られました。20章でパンを割いたのもだれかの家でしょう。21章ではピリポの家で、…・と当時の家は、伝道の強力なステーションでした。実際、パウロがローマで捕らえられていたときも、「こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた(使徒28:30-31)」と、その家が、伝道に用いられています。
浜松の場合、私がいた頃は、信徒のリーダーが説教までするということはありませんでしたが、新しい人たちを導いてくるということは、しばしばありました。実際、浜松では、そういう家庭集会で救われて、伝道者にまでなった人がいたのです。家庭集会が侮れないのは言うまでもありません。
カリフォルニアの星教会の皆さんに、祈って欲しいことは、家であれ、アパートであれ、あなたの住まいを主の栄光のために解放しることを考えたらどうですかということです。自分の住まいは、物理的には「出て行く」にならないかもしれませんが、霊的には、おおいに出て行っているのです。最初は、私、あるいは妻が、御言葉を語ることはよいですが、理想的には、その家のホストが、集会を導いていけるようになることです。ヨイド純福音教会では、『区域集会テキスト』(正式な名前は失念)のようなものがあって、毎週、そこのリーダーは、そのテキストに沿って説教します。丁度、日曜学校の先生が、教案に従って説教するような形です。これは、毎週、何を話すか考える必要がないので、説教する信徒リーダーの負担が、随分軽くなります。(毎週、牧師が説教を作ることは、大変な作業です。ウソだと思うなら、やってごらんなさい。それで毎週の、説教が簡単なら、あなたは説教者になることを考えたらいいでしょう。)
伝道のステーションが多けければ、当然ですが、救われてくる人も、多いのです。成長している教会は、ありとあらゆるアクティヴィティーをして、そういうつながりから、人々をキリストにつなげて行きます。小さな群れは、大きな群れの教会のように、お金もない、人材も少ないのが普通です。しかし、アパートであれ、何であれ、住まいと、あなたという人材は、あるのです。そこに、友達を誘って、『福音を語る』集まりをしようではありませんか。
家庭をあるいは、自分のアパートの解放して、家庭集会をする意思のある方は、パスター・エイブにコンタクトしてください。