2006年12月24日


『救い主キリスト・イエスの誕生』 ルカ2:6‐14


2:6 ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、
2:7 男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼
らのいる場所がなかったからである。
2:8 さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。
2:9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。
2:10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のた
めのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
2:11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
2:12 あなたがは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」
2:13 すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。
2:14 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」

 ようこそカリフォルニアの星教会のクリスマス礼拝においでくださいました。私たちの教会は、
普段のそうたくさん人が集まっているわけではありませんが、この季節は帰国する人が多いの
で、例年は更に少なくなります。ところが今年のクリスマスは、初めてカリフォルニアの星教
会においでになった方がおいでになるばかりか、教会のクリスマスは初めてと言う方も何人か
おいでになるようですし、何より教会というところの礼拝に出たのも初めてという方もおいで
になるようです。本当に感謝です。心から歓迎いたします。そういうことで、初めての方もお
いでになるようですから、クリスマスに関して大切なインフォメーションとして、このことは
覚えておきたいことを申し上げます。それは主イエス様を礼拝するということです。
  クリスマスとは一体何かと問えば、プレゼントを貰ったり、贈ることと答えたり、ツリー
をかざること、ジングルベルを歌うことと答える人もおりましょうが、「イエス・キリストの
誕生日」ということは、大体の人々が知っております。実際に12月25日がイエス・キリストの
誕生日であったかというのは、おそらく違うと思います。この日は、ローマの冬至のお祭りだ
ったでしょうね。けれども、私たちにとってはお生まれになったということが大切なのですね。
  それでクリスマスの祝い方ですが、世の中の人々のクリスマスの祝い方には、コアがない
のですね。お生まれになったイエス・キリストを礼拝することがコアなのですね。そういう意
味では、今年のクリスマスは本当に意義深いという方が、何人かおられるでしょう。何故なら
、今、皆さんは主を礼拝することに参加しておられるからです。
  さてクリスマスが、世界中でこんなにも祝われるのは、どうしてでしょうか?Jesus is 
reason for the season. ということはよく言われますが、まさにその通りです。
  私たちのために救い主がお生まれになったのです。ですから、救いが必要な人は、このイ
エス様の誕生を喜び、礼拝すべきだということを頭に入れて下さい。
  テキストは今から約2000年前、イスラエルの小さな村、ベツレヘムでの出来事です。
当時のイスラエルの人達は、非常に苦しい生活を強いられておりました。それは自分達の国が
ローマ帝国の植民地になっていたからです。加えてヘロデという王様は、非常に残虐で厳しい
王様で、人々はいつ何かの拍子に殺されるかもしれないと言う不安で一杯でした。そんな時代
に、イエス様がお生まれになったのです。テキストの11節は、「あなたがたのために、救い主
がお生まれになりました」と言います。
  暮のこの時期は、あちらやこちらに買物に行ったり、各地から家族が集まってきます。我
が家も、ルークが日本から、さっきやってきました。娘家族は、先にハズバンドの家族テキサ
スを訪問中ですが、あした帰ってきます。クリスマスは大抵の人々にとっては、幸いな時、嬉
しいとき、平和な時です。けれども、「救い主」が生まれたことが歓迎されるということは、
救われなければならないような状況が、そこにあるということになりますね。イラクでは今、
内戦みたいになっていて、激しい戦いがあり、死んでいく人たちが後を絶ちません。北朝鮮は、
6カ国協議が物別れに終って、人々はこの冬を乗り切れるかと危惧されています。彼らには救
い主が必要に見えます。
そこでまず、誰にとって救い主が必要かということを考えましょう。
コストコへワインを一本買いにいったのに、キャッシュもチェックも、カードも忘れてしまっ
た場合、「たった20ドルのために」・・・・この混雑では、・・・・悔しいでしょうね。そん
な時、偶然にお友達に出会って、彼が「なんだ20ドルのことで、僕が用立ててあげるよ」と言
われたら、これは嬉しいでしょう。しかしこういう人のことを「救い主」とは言わないでしょ
う、「ワインダフル」とは言ったとしても。
「救い主」というからには、人間にとっては、是対絶命の危機、非常に厳しいに状況に遭遇し
ている時と考えられないでしょうか。
 あと一週間で、2006年はおしまいです。新年になると、日本人の70%位が、どこかしこの神
々のおられると言われる神社へ言って、10円か100円を投げて、「身体健康、病気全快、家族円
満、商売繁盛、立身出世、学力向上、受験突破、縁談合意、競争勝利・・・」みんなお願いし
ます。 時々、「随分欲張って祈願なさいましたが、すみません、私どもは火の神様でありまし
て、そういうお願いには効き目がないですわ」と言われる神さまも、あるかも知れません。拝
むほうも、おそらく誰一人、そこに活ける神がおられるとは思っていないと思います。けれども
人は、しばしば本当に神の助けを期待しております。こうやって初詣に行く人たちは、どちらか
と言うと当面は、さした問題のない方たちではないかと思います。
  けれども、私たちの周りには、desperately 問題を解決してくださる正に神が必要と言う方
々がおられます。木や石や紙で作られた神々は、聖書によれば、そういう神々は、「物言わぬ偽
りの神々(ハバクク2:18)」なのです。そうではなく、凡人の私たちにも、分かる、しかし本物
の神としての「救い主」が必要という方たちがいるのです。私は皆さんの事情は分かりませんが
、もしかしたら、見た目には平和そうに見えても、本当に神なる「救い主」を必要となさってい
る方があるかもしれません。如何ですか?
  命の危険とまで言わなくても、たとえば親がアル中で、暴力を振るうというような場合、人
々は本当に「救い」を求めるでしょう。
  数年前、私たちの教会に来ていた、N君という青年がいました、この家族はアル中のお父さん
のために、まさに「救い」を必要としていました。お母さんは、幼い賢二君を連れて、さまざま
な神々を渡り歩きました。けれども彼が成長して、彼自身が、真の生ける神に出会った時、彼の人
生は変わりました。『ザーラ』と言う雑誌がありますから、是非お読みください。彼はあれから、
UCバークレーを卒業し、目指していた弁護士の道も、ロースクールを来年卒業の見通しです。彼
の育った生活環境から考えるなら、奇跡ですね。
  しばしば人間は神に焦がれています。それはそういう超自然的な業しか、解決するようには思
えないことが、私たちの周りにはあるからです。
  病の場合もそうです。私の友人で日本で牧師をしている方がいます。数年前、この方が食道ガ
ンと診断され、手術の日程まで決まっていたのです。ところがその頃、「主に癒してもらいましょ
う」と勧める別の伝道者の祈りで、この牧師は「癒された」という確信をもちました。そしてその
手術予定日のちょっと前に、医者に「私は癒されたと信じます。もう一度検査してください」と話
したら、そのお医者さんが、「医学をバカにするのか」と言われたので、「いいえ、バカになどし
ておりません。ですから検査をお願いしているのです」と答えたのです。綿密な再検査の結果、
「ウーン、何が起こったのか分からない」と驚いたのは、どちらだったと思いますか
  私はサンホゼに来て21年になります。モントレー方面にもよく伝道にまいります。そこにいた
Tさんという日本人の婦人は、アメリカ人のダンナさんとうまく行かず別れました。子供を抱えた
Tさんは途方にくれました。そんな時に、教会に誘われました。そこでT さんは、救主キリスト
に会ったのです。彼女は変わりました。ふさぎがちだったこのTさんは、困難な中にも生き生きし
てきました。それを同じ町にいて、見たり、噂を聞いたりしたエックスが、「一体教会って、何し
ているんだろう」とのぞきに来たのです。アメリカ人だって、ことにカリフォルニアにいるアメリ
カ人は、あんまりその内実を知らないのです。そうして彼は、その同じ教会で主キリストに出会い
、その罪を示され、悔い改めて、彼もクリスチャンになりました。その後、この二人はどうなった
と思います?復縁して、今はとても幸いな、家庭を築いています。
  これらの人々にとって、イエス様はまさに救い主でした。彼は、神だから、完全な解決を下さ
るのです。「さし当って、そういう危険や困難はないなあ」という方もおいでになるかもしれませ
ん。「救い主が必要なら、必要な人だけ行けばよい」とお考えになるかもしれません。しかし聖書
は、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者
が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである(ヨハネ3:16)」と言います。
この「ひとり子」というのは、イエス様のことです。「世」というのは、私たちの住むこの世であ
ります。つまり、誰かに救い主は必要で、誰かには必要なし、というものではなく、私たち世に住
むものすべてに必要なのが、救い主なのであります。イエス・キリストがどのような生涯を送られ
たかは、みなさんご存知ですね。最後は十字架で死なれました。このヨハネ3:16の「お与えになっ
た」の意味は、生まれるだけでなく、実に「世」のために、御子の命をも犠牲にして与えるほどに
、「世」を愛されたということです。ヨハネ15:13には、「人がその友のためにいのちを捨てると
いう、これよりも大きな愛はだれも持っていません」とあります。イエス様は、私たち人間を愛し
て、自分の命をも差し出されたのです。しかし、イエス様は、墓を破ってご自身が神たることを証
詞してくださいました。それは、普通『イースター』の時、お祝いします。ひとえにそれは私たち
が御子イエス様を神である、救い主であると信じて、永遠の命を得るためなのです。
  日本では今年、『病気にならない健康法』という本が大ベストセラーだったようです。私はあ
る方から勧められた、『免疫革命』と言うやはり健康に関する本も読みました。我々の年代になる
と、会えば健康に関する話題が多いですね。双方の本から言えることは、生活習慣、食習慣に気を
つけなければならないということです。私はタバコはやりませんし、お酒も飲みませんから、これ
らの本から言えば、一番長生きできる部類でしょう。私には弟が二人おりますが、タバコを吸う彼
らより、正直、私のほうが長生きすると思っています。タバコだけでなく、お酒も毛細血管を収縮
させて、健康によくないそうですよ。
  しかし、そうは言っても人間はいつか、誰もが死にます。ところが、ここには、「御子(すな
わち主イエス・キリスト)を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つ」と
あるのです。これは驚くべき朗報、福音だとお思いになりませんか?確かにこの世には御子を信じ
る人も信じない人もおります。しかし、永遠の命は御子を信じるかどうかにかかっています。あな
たは是非、信じる選択をしてください。
  ですから、これまでに申し上げたように、イエス・キリストはこの世のすべての人々のために、
救い主としてお生まれになったのです。
  人には知られていないが、本当に苦悩することがある人がおいでになるかもしれません。実際、
病で苦しんでいる人があるかもしれません。特にそういう悩みはないけれど、自分の罪とか、永遠
の命のことを考えると、自分はまるで無力だったと、今朝分かった方があるかも知れません。感謝
しましょう、賛美しましょう、礼拝しましょう。救い主なるイエス・キリストがお生まれになった
のです。この御子イエス・キリストを主と信じて、神なる彼からの力で問題の解決をみましょう。
信じて、死に打ち克つ力を頂きましょう。
祈ります。