2006年12月31日
「『聖』『敬虔』『清楚』な生活」
最近日本のある牧師先生のブログを読んでいたら、預言の集会で預言を頂くためにお金を出さなければならないとか、癒しの祈りをお願いするのにお金を包まねばならないとか、あんまり私自身が聞いたこともないし、やったこともないプラクティスがなされる集会あるそうです。その先生は、信徒が「そういう集会はどうでしょう」と尋ねてきたときには、「止めておきなさい」と勧めるそうです。同感です。
牧師は教会の管理者にもなる場合がありますが、そこまでしてお金を徴収することに熱心になることには疑問を感じます。
元来キリスト教会というのは、「聖」「敬虔」「清楚」という言葉が似合ったはずでし、そういう教会の性格は決して失うべきではないと思います。ところが近年、アメリカでは、牧師の性的不品行が横行し、最近もコロラドの著名な牧師が辞任を余儀なくされました。その傾向は日本にも及んで、今年は聖神中央教会の事件など、胸を痛める事件が明るみに出されました。現在裁判が継続中という事件もあります。
この原因のひとつには、大きな会衆の教会を牧会したいという指導者の欲望が、聖霊様の導きより、人間の力によって働くところにあります。豊かな暮らしがしたいという思いも、それに輪をかけます。私はしばしば書きましたが、お金持ちになりたい人は、牧師になるべきではないのです。豪勢な暮らしがしたい人は、この世の事業でもやったらいいのです。私が牧師を志したころは、「せめて牧師も公務員並の給料がいただけるなら」などということが言われました。この節公務員はものすごく高給取りです。ですから、「公務員並」などと言うなら誤解されるおそれがあるでしょう。
金持ちが良い手本になるケースはまれです。むしろ、「金持ちが天の御国にはいるのはむずかしいことです(マタイ19:23)」「昼食や夕食のふるまいをするなら、友人、兄弟、親族、近所の金持ちなどを呼んではいけません。でないと、今度は彼らがあなたを招いて、お返しすることになるからです(ルカ14:12)」「金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります(1テモテ6:9)」「聞きなさい。金持ちたち。あなたがたの上に迫って来る悲惨を思って泣き叫びなさい。(ヤコブ5:1)」と、ネガティブなことばかり聖書は告げます。これは決して伝道者だけがターゲットではありません。信徒も同じです。それではどうやったら、「金持ち」ということで糾弾されることから逃れられるでしょうか? 簡単です。主への献金を忠実にすればよいのです。
以前日本に行った時、アメリカからのゲストを呼ぶのに、ものすごくお金がかかることを嘆いていた大会関係者がいました。飛行機は必ずアメリカの航空会社の便でファーストクラスでなければならない、ホテルは四つ★でなければならない、謝礼は最低一回の説教で100万でなければならない・・・とか。その上、集会に集うのに入場料を払うとか・・・・・。こういう伝道者は、豪勢生活志向の方です。そこまでしてそんな伝道者を呼ぶことが、日本の祝福になるのだろうかと考えてしまいます。そういう伝道者に限って、テロの危険などがあって航空便の危険度が「赤」になると、集会をキャンセルするのです。私に言わせれば「腐っている」人、二度と話は聞きたくないタイプの伝道者です。伝道者は御言葉への献身者です。語れることに喜びを覚え、語ることのためには命を賭ける人です。
近年、キリスト教の伝道者に、聖、敬虔、清楚、という資質が欠けてきている傾向があると思います。アッシジの聖フランシスの清楚さをバカにする人たちがおりますが、私は伝道者としては基本的に、やはりあの生き方を支持します。
イエス様の生涯からも、パウロの生涯からも、どこに伝道者が豪勢に、また優雅に暮らしていた様子がうかがえるでしょう。イエス様は人をお癒しになったとき、「治ったのだから、献金をxxくらい献げても安いものだ」と言われたら、彼らは献げたにちがいありません。生き返った人もいたのです。ビル・ゲイツの子供が急死して、「あなたのマイクロソフトの株を全部献げなさい。そうしたら必ず生き返らせえてあげよう」と言うなら、ゲイツ氏は献げるでしょう。主は「私が祈ると癒されるから、人があんまり多すぎると困る。癒しのために祈ってもらいたい人は、弟子のユダが会費を集めますので、まず会費をお支払い下さい」などと言われたでしょうか。伝道者でも儲けるチャンスはあるでしょう。しかし繰り返しですが、主はそうなさったでしょうか。むしろ、「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません(マタイ8:20)」なのです。
ルステラでは、パウロは足のきかない人を癒しました。それは人々が「神々が人間の姿をとって、私たちのところにお下りになったのだ」と勘違いするほど鮮やかでした。今日にもそういうことは起こるでしょう。そしてそういう伝道者なら、やり方次第で、かなり高収入を得ることが出来るでしょう。しかしパウロの生涯は、ある時にはテント張りをしているような清楚さでした。
子どもたちよ。偶像を警戒しなさい。(1ヨハネ5:21)