2007年1月21日
分裂(単一)王国時代シリーズ 第一回
「逆を行えば祝福」 1列王記16:23−34
16:23
ユダの王アサの第三十一年に、オムリはイスラエルの王となり、十二年間、王であった。六年間はティルツァで王であった。
16:24
彼は銀二タラントでシェメルからサマリヤの山を買い、その山に町を建て、彼が建てたこの町の名を、その山の持ち主であったシェメルの名にちなんでサマリヤと名づけた。16:25
オムリは主の目の前に悪を行ない、彼以前のだれよりも悪いことをした。
16:26
彼はネバテの子ヤロブアムのすべての道に歩み、イスラエルに罪を犯させ、彼らのむなしい神々によってイスラエルの神、主の怒りを引き起こした。
16:27
オムリの行なったその他の業績、彼の立てた功績、それはイスラエルの王たちの年代記の書にしるされているではないか。
16:28
オムリは彼の先祖たちとともに眠り、サマリヤに葬られた。彼の子アハブが代わって王となった。
16:29
オムリの子アハブは、ユダの王アサの第三十八年に、イスラエルの王となった。オムリの子アハブはサマリヤで二十二年間、イスラエルの王であった。
16:30
オムリの子アハブは、彼以前のだれよりも主の目の前に悪を行なった。
16:31
彼にとっては、ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであった。それどころか彼は、シドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻にめとり、行ってバアルに仕え、それを拝んだ。
16:32
さらに彼は、サマリヤに建てたバアルの宮に、バアルのために祭壇を築いた。
16:33
アハブはアシェラ像も造った。こうしてアハブは、彼以前のイスラエルのすべての王たちにまして、ますますイスラエルの神、主の怒りを引き起こすようなことを行なった。
16:34
彼の時代に、ベテル人ヒエルがエリコを再建した。彼は、その礎を据えるとき、長子アビラムを失い、門を建てるとき、末の子セグブを失った。ヌンの子ヨシュアを通して語られた主のことばのとおりであった。
今週からしばらく、旧約分裂(単一)王国時代からのシリーズ説教をいたします。聖書を読む人たちは、大雑把でも旧約の歴史を記憶しておくことは、聖書の理解に役立ちますね。バイブル・クイズでも時々それを出題しますが、例えば「アブラハムとダビデ、ノア、アダムの四人を、時代の古い順に並べよ」位の質問には、答えられるようにしておきたいものです。そしてダビデは大体何時ごろの人かとの問いにも、答えられるようにしておきたいものです。
ダビデは大体BC1000頃の人と覚えておけばいいでしょう。そしてその子、ソロモンが王位を継承しました。ただ、このソロモンという王様は、父ダビデのように立派な王様ではなかったので、主から「王国を引き裂く(分裂する)」と言われてしまいました(1列王11:11)。そして主が言われたように、ソロモンの存命中は統一を保っておりましたが、彼の死後、イスラエル王国は、北イスラエルと南ユダに分裂しました。これがBC922年です。つまりここから、分裂王国時代が始まるのです。
北イスラエルはヤロブアムという人が王になり、南ユダはレハブアムという人が王になりました。そして分裂後、この北王国がアッシリヤによって崩壊するのがBC722年で(以後は単一王国時代)、その後、南ユダは細々と命脈を保ちますが、やがて南ユダも、BC586 にバビロンによって完全に崩壊します。今回のシリーズでは、列王記から、この間の出来事を取り上げて、概観します。すでに私自身としては話した出来事もありますので、なるべくこれまで話していないエピソードを取り上げようと思います。(もっとも、この教会では、あまり長くいるメンバーはいないので、どこを話しても私から聞く説教としては新しいと思いますが・・・・)
今日「イスラエル」と、申しますとイスラエル共和国と言う国全体を指しますが、この分裂王国時代は、北王国のことを指し、「ユダ」というのが南王国を指すのです。そして地域としてはイスラエル12部族のうち10部族が住む地域ですから圧倒的に北イスラエルの方が大きいのです。それに比して、南ユダは、ユダ族とベニヤミン族の二部族の地域だけでした(1列王12:17,21)。ただ彼らの強みは、レハブアムという資質はともかくソロモンの血をひく正統な継承者が王になったことと、神殿のあるエルサレムを押さえていたということでしょう。
北イスラエルは、人が神殿に向かう人々を阻止するために、金の子牛を二つも作って、それを自分達の領土内のべテルとダンに置きました。人々に拝ませるためです(1 列王12:29)。 これは、出エジプトの時のエピソードを思い出させますね(出エジプト32)。時々、教会で語られる説教に「その話は、すでに知っている」とか、「前に聞いたよ」と言って敬遠する人がおりますが、この出エジプトのエピソードからも、人間というものは、愚かなもので、「知っているからもうしない」ということはないのですね。最近青島幸男氏が亡くなりましたが、彼の作詞で、植木等さんが歌った「スーダラ節」と言うのがありました。その有名なフレーズは「分かっちゃいるけどやめられねェ」です。これが悲しい人間の姿ですね。こういうことがあるので、繰り返し繰り返し話さねばならないのです。
さて緒論はこれくらいにしておきましょう。つまりこのシリーズの時代としては、ソロモン以降、BC922年に始まる南北分裂王国時代、北の崩壊を経て(BC722) ユダの単一王国になってから、ユダが崩壊する(BC586)までです。
まず北王国のエピソードからです。北イスラエルの王様で良く知られた王様の代表格はアハブと言う人でしょう。このアハブという王様にいたるオムニという王様は、あまり知られていませんが、悪い王様としては重要なロールを担っています。それはオムリ王朝の最初だからです。アハブはオムリの子供です。
北王国の王様は、最初のヤロブアムが世襲制としては正統的でなかったばかりでなく、クーデターなどがしばしば起こって、王朝としてはなかなか続きませんでした。オムリは北イスラエル6代目の王様ですが、それまでに3代目のバシャはクーデターで王になった人であり(1列王15:28)、5代目のジムリもクーデターで王になり(1列王16:10)、この6代目のオムリもクーデターで王になった人でした(1列王16:16)。
信仰という点では、彼らから学ぶところはなく、そういう歩みが国を滅ぼしたわけです。となれば、彼らの轍を踏まないなら、つまり『逆を行えば祝福』ということになるでしょう。
このオムリ王朝、とくに悪名高きアハブからは、間違った結婚相手を避け、偶像を捨て、人々に本当の神を礼拝させるようにすることが、つまり彼がしたことの逆を行えば祝福につながるということです。
まず覚えていただきたいのは、正月早々またこの話ですが、それは、間違った相手を避けるということです。テキストは「オムリの子アハブは、彼以前のだれよりも主の目の前に悪を行なった。彼にとっては、ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであった。それどころか彼は、シドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻にめとり、行ってバアルに仕え、それを拝んだ」 と言います。
最近のリバイバル新聞に、今話題になっているリック・ウォレン先生の記事が出ていました。彼は将来の結婚相手について、「情熱より、(主にある)目的が大切」と言っています。記事には「主にある」がありませんが、これはそういう意味です。不信仰なアハブは、「主にある」ということを無視して、外国の女性を妃に迎えるという愚行をしでかします。この「外国の妃」というのは、今日でいう国際結婚という意味ではないことは、言うまでもありません。異教徒という意味です。そういう異教徒でも妻に迎えたいという考えは、それはおそらく情熱からだったのでしょう。アハブにとって、イゼベルはよほど素敵な女性だったのでしょう。しかしその素敵さは、おそらく情熱でありましょう。なまめかしい女性だったのかもしれません。
今日でも、お金があるかないか、背が高いかどうか、美人かどうか、学歴、家柄、趣味や考え方が同じ、などと言うのは、それはある時には、希望に合ったほうがいい場合もありますが、「主にある目的の一致」ではないのです。これらはどちらかと言うと、「情熱」の部類に入るでしょう。こういう相手の選択は、間違った方法です。
このイゼベルという女性は、まず聖書に出てくる女性の中で最悪の奥さまに数えられる人でしょう。よりにもよって、・・・・・・・イスラエルの王様は絶対こういう女性を選ぶべきではありませんでした。こういう人と一緒になると、まったく一番大切な信仰などどこかへ行ってしまうからです。
しかしすでに信仰のない人と、あるいは偶像礼拝者と結婚している人もいるかもしれません。アハブとイゼベルは、二人揃って主が忌みきらわれることを一致してやりました。これはまずいのです。もしあなただけが信仰者なら、まことの主を知るものがあなた一人でも、あなただけは主により頼んで、主に対する信仰を維持すべきであります。そうするなら、やがてまだ主を信じない相手も、信じるようにされるでしょう。
どうしてイゼベルのような人が問題かと申しますと、それは第二の問題でもあります。それは偶像です。テキストは、「行ってバアルに仕え、それを拝んだ」とあります。これはイゼベルがシドンから持ってきた偶像です。彼女は主の信仰者ではなく、バアル礼拝者でした。しかもただ礼拝するだけでなく、バアルと言う偶像を、イスラエルに持ち込んだ人です。聖書では、しばしばこの偶像を捨て去ることを要求しています。
シェケムから出土した紀元前9世紀くらいのバアル像の写真を見ましたが、高さが20センチくらいのとんがり帽子をかぶったような人形です。それが神だといって拝むのですから、随分おかしなことをやっていたものですが、今日の人だって考えてみれば、随分おかしなことをやっています。日本へいけば、紙や、板や、石や、ありとあらゆるマテリアルで作った神々があり、人々はそれを拝み、それにお供えをし、それにお賽銭を投げます。小さなお守りを首に下げている人、腰やかばんにつけている人もいます。これらは偶像です。祝福の秘訣は、偶像を捨てることです。それらは、紙や板や、石であって、人が作ったものであり、活けるまことの神ではありません。活けるまことの神は、人々が偶像に腰を屈めることを、著しくお嫌いになります。よりにもよって、イスラエルの王であったアハブはこれをしたのです。祝福されたいなら、こういうものは捨てさることです。
何故それが問題化と申しますと、それは三番目の問題にかかわるからです。それは、人々を間違ったものを拝ませるという、負の伝道をするからです。私たちは人々を、本当の場所で、本当の神を礼拝させるようにすべきなのです。テキストは「彼は銀二タラントでシェメルからサマリヤの山を買い、その山に町を建て、彼が建てたこの町の名を、その山の持ち主であったシェメルの名にちなんでサマリヤと名づけた。オムリは主の目の前に悪を行ない、彼以前のだれよりも悪いことをした」とあります。
統一イスラエルの首都は勿論エルサレムです。ソロモンの建てたそれは立派な神殿もそこにありました。人々が、この神殿に礼拝に行くということは、北イスラエルの人々を南にひきつけさせることになりかねません。北イスラエルの初代の王ヤロブアムにとっても、それが心配でした。彼はそれでダンとベテルに金の子牛の像をおいて、エルサレムに行く必要なしとやりました。しかし、ダンとベテルは、北王国の北と南の端で、人々の心をつなぎとめるためには恒久的な都が必要でした。それでオムリは、サマリヤに町を作りました。
このサマリヤは、結局北が陥落するまで都であり続けました。「サマリヤ陥落」と言う時は、北イスラエルの崩壊を意味します。このサマリヤは、このオムリの後の王、アハズがバアルの宮を建てたので、人々をも間違った方向に導くために、極めて効果的似用いられたのです。何故かなら、「サマリヤに建てたバアルの宮に、バアルのために祭壇を築いた」とあるからです。
自分の都合で礼拝場所を変えてはいけないのです。これを今日に適用するなら、自分の都合で教会という礼拝場所を変えてはいけないということです。最近のように寒いと、「こんな寒い日に、わざわざ教会まで行かなくても、家にいても礼拝できる」、とか「ベッドの中で、テレビの説教をきいてでも礼拝できる」という人がいるかも知れません。勿論、日曜に避けられない仕事がある人とか、病気の人とか、そういう人たちは、「自分勝手」ではありません。
宗教改革者カルヴァンは、教会の外には『救い』がないという主旨のことを申しましたが、見えない教会は、見える地方教会に代表されているのです。聖礼典が行われ、御言葉の説教がなされているところが、教会です。(キリスト教網要) もしかしたら北イスラエルの人たちの中でも、ある忠実な人たちは、エルサレムの神殿に上りたいと願ったでしょう。しかしオムリの家は、それを自分勝手に変更したのです。これは負の伝道でした。教会へいくより、お金儲けというような負の伝道もあります。
ソロモンという王様も偶像礼拝をした王様で、問題の王様です。彼の問題性が王国を分裂に導いたのです。しかしソロモンの偶像礼拝は、それを自分のうちでやっただけで、国中に広めようとしたという記録はありません。また、ソロモンの場合は、偶像礼拝をしましたが、まことの主への礼拝を拒絶したようには見えません。彼は、主に対する礼拝に加えて、偶像礼拝をしたのでしょう。ところが、オムニがサマリヤを建て、その子アハブがそこにバアルの神殿を建てたということは、偶像礼拝を自分達の個人礼拝から、国中に広めようとしていることです。しかもそれは主への礼拝を拒絶してです。
祝福を受けたい人は、まことの主を正しい場所で、礼拝するように、人々に伝えるべきです。以上三点、このオムリの家の出来事から、学んでください。間違った人を結婚相手に選ぶことを避け、偶像礼拝をやめるのみならず、すべての偶像を処分し、むしろ正しい活けるまことの神を礼拝し、人々を正しい教会という礼拝場所に導くことを、信仰と生活を通して励むのです。必ず主は、そういう人を、オムリの家が滅んだのとは、逆に大きく祝福してくださいます。
もしかして、すでにこれらの原則から逸れているなら、信仰を持っているあなたは、一人でもこれらの原則に沿うように、信仰に励みましょう。あなたの配偶者が救われるように祈りましょう。主はそういうあなたの姿勢に対して、憐れみを示し、祝福してくださいます。
祈りましょう。