2007年2月11日
「ライセンス・ミニスター候補インタビュー」
1月31日の私たちのセクション(日本のアッセンブリー教団なら、教区的な組織)の年会で、6度目のコミッティー・メンバーに選出されました。妻は「もういい加減に降ろさせてもらったら」と言いましたが、またやることにしました。この仕事は、どちらかというとまったくヴォランティアの仕事で、地区のお世話係的な仕事です。アメリカの我々の教区(教団)は、地区(教区)に分けられていて、その地区ごとに、プレスビターとコミッティー・メンバーがいます。我々の地区のコミッティー・メンバーは5人で、プレスビターとコミッティー・メンバーで、地区の行事を立案し、執行します。
日本の我々の教団との違いは、各地区のコミッティーが、その地区から出た牧師の候補をインアビューすることです。そしてそのインタビューの結果から、その人物が牧師として相応しいかどうかが決まります。つまり私たちのコミッティーが、「相応しい」と言う推薦状にサインしなければ、その候補者は牧師にはなれないのです。ですからコミッティーは、非常に大切な役目を仰せつかっております。
アッセンブリーズ・オブ・ゴッドでは、私が学んだカヴェナント神学校の上部団体PCA(Presbyterian
Church in America)のように、アカデミックな面では、そう厳しい規定はありません。バイブル・カレッジを卒業すれば、大体ライセンスを取得する学科はカヴァーされているでしょう。必ずしもバイブル・カレッジを卒業する必要もなく、通信教育で必要な学科を学んだという認定だけでも、ライセンスを受けられます。日本のアッセンブリー教団の場合は、独学の場合は、年に一回ある本部での試験を受けなければならないそうです。そしてこの試験がかなりきついそうだと聞いています。アメリカの場合は、殆ど自己認定で、「これこれの科目を勉強した」でOKです。まあ、そういう意味では、アカデミックな面では、PCAの標準よりは、かなり緩やかです。
けれども一旦牧師になると、管理される点では、日本のアッセンブリーの比ではないという感じがします。何において・・・か? 何を語るか、教えるかと言う教理の面のチェエクでもそうですが、毎月牧師が教区に納める献金・・・・(というより負担金)が半端ではない、きつい額ですし、取り立ても厳しいし、出さないと、一年後には、牧師資格を剥奪されます。
実は、私はコミッティーのメンバーですから、管理する側にいるわけです。アメリカでは、そういうわけでたくさん教職を増やしたほうが教区もうるおうだろうから、牧師にさせるのも簡単なのだと思っていました。先週、一人のライセンス・ミニスターの面接がありました。この面接を通して、伝道者として登録するのもそう簡単ではないことを知りました。
私たち5人(一人欠席していた)が、事前に三十分くらいアプリケーション(申請書)を検討して、その後、候補者夫婦を招きました。これまで私は三回、こういう面接に加わったことがあります。過去は三人とも、みんなパスさせました。が、今回は様子が違っていました。非常にキビシー面接でした。
この候補者は、60歳をちょっと超えた人で、仕事を定年で辞してから、伝道者になることを決意した人です。この候補者より年上の人は、もう一人の外国人のコミッティー・メンバー以外におりません。年若い人たちが、年配の夫婦の面接をしたのです。そして話を聞いていきますと、前から伝道者になる意志はあったようで、それまでに例の通信教育で必要な科目を学んでいたようです。私は正直な話、内心「何故、人生の一番働けるよいところを主に献げなかったのだろう」と思いました。会社で働き、年金ももらえるように経済的な準備をしてから、伝道者を志している感じがしました。この行き方は、私の信条には合致しませんでした。しかし、そういう指摘はしないで、ただ聞いていました。
一人のコミッティー・メンバーが、アプリケーションに書いてあった教会籍についてかみつきました「あなたは30年も、A教会のメンバーであって、そのA教会では役員をやったり、さまざまな責任を負ってきておられます。奥様も婦人部の会長を何年もやってきていますね。それがこのアプリケーションをみますと、4ヶ月前に、B教会に変わっていますね。これはどういう理由からですか?」と。
この候補者は、最初アメリカ人がよく使う手で、「主がそう導かれたから」と答えましたが、面接者たちは「A教会の牧師との関係はよかったですか?」「教会の中で、あなたはだれか気に入らない人がいるということはありませんか?」「何故A教会から献身しなかったのですか?」「B教会の先生は何と言っていますか?」と実に矢継ぎ早に、この点について質問しました。
結局、そういう受け答えの中から、この候補者は、A教会のこのご夫婦に対する扱いが面白くないと感じていたこと、それが理由で教会を変わったこと、またランセンス・ミニスターであるという肩書きで箔をつけたいという思いがあるということを、私も含めて、コミッティー・メンバーたちは、感じてしまいました。コミッティー・メンバーの構成は、3人がアメリカ人で、私のほかもう一人の外国生まれの人のメンバーがおりました。質問は殆ど、アメリカ人3人がしました。
約一時間の面接のあと、この候補者夫婦には下がってもらって、コミッティー・メンバーの、どうするかの話し合いになりました。一人のアメリカ人は、「まあ問題があるにせよ、推薦しよう」という恩情派でしたが、一人は断固反対、今後どれだけ申請しても、受け付けないと言い伝えるべきだと、主張しました。私も、この状態でライセンスを与えるのはまずいと思いました。結局5人中4人が反対で、温情派の一人も、最終的には今の時点では「ノー」の意見に賛成しました。
それから、そのご夫婦に入ってもらって、丁寧にはっきりとコミッティーの決断を伝えました。奥様はポロポロ涙を流して泣き出しますし、我々も非常に重苦しかったのです。
しかしやはりいくら自由なアメリカでも、教会のリーダーになる人にとっては、基本的にGood
Standing ということが問われるということが分かってホッとしました。
この男性は、二年ほど前、脳梗塞を患って、体が不自由でした。聖書の内容についての質問に対しても、正直なところ、知識不足という感じがしました。教会のリーダーは、穏やかで親切というような資質も大切ですが、教える賜物があることは必須です。そのためには、聖書に通じていて、説教が出来なければならないでしょう。私どものコミッティーが、今回の志願者を、推薦しなかったことは、重苦しい決断でしたが、適正な判断だったと思います。ただ、一人のコミッティー・メンバーが、「生涯にわたって、伝道者になれるという希望を、絶対持たせるべきではない」と言ったことに対しては、「将来、新しいB教会において、よい信仰の実を見た時点で申請をした時は、再考することにしましょう」ということに落ち着きました。
牧師という任務は、箔のために出来る仕事ではありません。むしろ目立たない、仕えなければならない、報われにくい仕事です。給与という点でも、ほとんどの牧師は、この世の仕事ほど報われません。それにも拘らず、高い知識は求められますし、高い道徳性も問われます。地位や名誉ではなく、主の召しと、その召しに従う献身と、信仰が、この勤めにつくことを可能にするでしょう。