2007年3月18日

分裂(単一)王国時代シリーズ 最終回
「王国崩壊を通して知ること」第2列王記24:28-25:9

 
 24:18 ゼデキヤは二十一歳で王となり、エルサレムで十一年間、王であった。彼の母の名はハムタルといい、リブナの出のエレミヤの娘であった。

24:19 彼は、すべてエホヤキムがしたように、主の目の前に悪を行なった。

24:20 エルサレムとユダにこのようなことが起こったのは、主の怒りによるもので、ついに主は彼らを御前から投げ捨てられたのである。その後、ゼデキヤはバビロンの王に反逆した。

25:1 ゼデキヤの治世の第九年、第十の月の十日に、バビロンの王ネブカデネザルは、その全軍勢を率いてエルサレムを攻めに来て、これに対して陣を敷き、周囲に塁を築いた。

25:2 こうして町はゼデキヤ王の第十一年まで包囲されていたが、

25:3 第四の月の九日、町の中では、ききんがひどくなり、民衆に食物がなくなった。

25:4 そのとき、町が破られ、戦士たちはみな夜のうちに、王の園のほとりにある二重の城壁の間の門の道から町を出た。カルデヤ人が町を包囲していたので、王はアラバへの道を行った。

25:5 カルデヤの軍勢が王のあとを追い、エリコの草原で彼に追いついたとき、王の軍隊はみな王から離れて散ってしまった。

25:6 そこでカルデヤ人は王を捕え、リブラにいるバビロンの王のところへ彼を連れ上り、彼に宣告を下した。

25:7 彼らはゼデキヤの子らを彼の目の前で虐殺した。王はゼデキヤの両目をえぐり出し、彼を青銅の足かせにつないで、バビロンへ連れて行った。

25:8 第五の月の七日・・それは、バビロンの王ネブカデネザル王の第十九年であった。・・バビロンの王の家来、侍従長ネブザルアダンがエルサレムに来て、

25:9 主の宮と王宮とエルサレムのすべての家を焼き、そのおもだった建物をことごとく火で焼いた。

25:10 侍従長といっしょにいたカルデヤの全軍勢は、エルサレムの回りの城壁を取りこわした。

 

今週で、『分裂(単一)王国時代シリーズ』の説教は、おしまいとします。この時代は、預言者の活動も活発でしたので、預言書からのお話も加えたらおもしろいのですが、列王記からだけでも、今週までで全八回という、本当にはしょったシリーズでしたから、これに預言書を加えたら、いつまでかかるか分かりません。それで今回は、ここまでにします。

 さて、最後は南ユダ王国の崩壊のエピソードからです。南ユダ王国最後の王様は、テキストにありますように、ゼデキヤという人です。私はしばしば、王国が分裂したのがBC922、北イスラエルが滅びたのがBC722、そして南ユダの崩壊の年をBC586と申しております。もっとも、このあたりの年代は、学者によって、多少誤差がありますから、その点はご容赦ください。

南ユダの場合、実際バビロンが、ユダの人々を捕囚として連れて行ったのは、何回かあります。ダニエルたちは、ダニエル書1:1によれば、「ユダの王エホヤキムの治世の第三年に、バビロンの王ネブカデネザルがエルサレムに来て、これを包囲した」とあります。ダニエルたちは、この時にすでに捕えられて、移されているでしょう。これは、史料によれば、BC605 です。2列王記24:12には「ユダの王エホヤキンは、その母や、家来たちや、高官たち、宦官たちといっしょにバビロンの王に降伏したので、バビロンの王は彼を捕虜にした。これはネブカデネザルの治世の第八年であった」とあります。」これは、BC597頃でしょう。

テキストの25:8-9に、「第五の月の七日・・それは、バビロンの王ネブカデネザル王の第十九年であった。・・バビロンの王の家来、侍従長ネブザルアダンがエルサレムに来て、主の宮と王宮とエルサレムのすべての家を焼き、そのおもだった建物をことごとく火で焼いた」とあります。ユダヤ人にとって、心の拠り所の神殿が焼き払われたことで、ユダ王国の崩壊、すなわちこれをして、BC586 というのです。

この後にも、エレミヤ書52:30には、「ネブカデレザルの第二十三年には、侍従長ネブザルアダンが、七百四十五人のユダヤ人を捕え移し、その合計は四千六百人であった」とあり、これはBC582 頃だと思われます。このように波状的に、ユダ王国は崩壊していったのです。

ただ攻めたバビロンも、いつまでも勢力を誇ってはいられませんでした。やがてペルシャ帝国が、バビロンに取って代わり、クロスという王様が出てきて、イスラエルの人達に「お前達は、もう戻ってよい。お前達の望む、神殿を建てるがいい」と言ったのです。それまでの、つまりBC537頃まで約50年間は、イスラエルの主だった人たちは、カルデヤの地(バビロン)にいたのです。

さて、歴史的なおさらいはこれくらいにしましょう。これまでこの分裂(単一)王国時代の王国の様子を垣間見ますと、その殆どの時代に共通した問題が浮かび上がってきます。それは偶像問題、真の主を敬わない、従わないという問題です。これは、イスラエルの宗教的掟である十戒の、ことに第1戒「わたしのほかに、ほかの神々があってはならない」と、2戒「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない」に、著しく触れるものでした。そして、結局この傾向は、ヒゼキヤとかヨシヤなどの時代があったとは言え、全体的には最後のゼデキヤ王にいたるまで直りませんでした。

その結果、「エルサレムとユダにこのようなことが起こったのは、主の怒りによるもので、ついに主は彼らを御前から投げ捨てられた(24:20)」という事態になるのです。

そこで覚えていただきたいことは、主は怒られる時があるということです。ですから、私たちは、主が怒られるようなことをしないで、主が喜ばれるようなことをすべきだということです。

新約聖書のイエス様は、お優しい、また寛大というイメージですが、旧約聖書では、しばしば厳しい、怒られる神のイメージがあります。それでは「イエス様と父なる神は、別神か?」と問われるなら、「そうではなく、一体である」と答えます。この節、お優しいイエス様のイメージばかりで、神は捉えられがちですが、このシリーズの説教から、同時に、神は怒られることもあるということを学んでください。

どういう時に神は怒られるか?

言わずもがなですが、唯一まことの神を蔑ろにする時、偶像礼拝、不従順の時です。ゼデキヤの場合、「彼は、すべてエホヤキムがしたように、主の目の前に悪を行なった」に集約されています。エホヤキムはどうかというと、「彼は、その先祖たちがしたとおり、主の目の前に悪を行なった23:37)」なのです。彼の前のエホヤキン王も、「彼は、すべて先祖たちがしたとおり、主の目の前に悪を行なった(24:9)」なのです。この「主の前に悪を行った」は、ヒゼキヤの子、マナセのところでは、明らかになります。まあ、これは北イスラエルでも大体同じで、繰り返しですが、偶像礼拝だとか、まじない、卜占、霊媒、口寄せなどです。

  今日、こういうことがないかと言うなら、そうではありません。新聞から、ラジオ、テレビ、インターネットにいたるまで、ありとあらゆるところでまじない、占いがはびこっております。日本では、友引の日には、葬式をしないそうですから、国家をあげて迷信に毒されているといってもいいでしょう。イエスさまは、実に軽く見られています。この、偽りの霊に人生を左右されることほど、バカらしいだけでなく、愚かしいことはありません。何故かなら、そういう姿勢は、いつか必ず神の怒りをかうからです。

  国が代わればそのやり方も違っています。私はバーバー・ショップとか、車の修理屋などは、ベトナム人の店を利用します。彼らはとてもいい人なのですが、あの店の前に、仰々しく並べられた偶像の祭壇はなんとかならないかと思います。

  大方の日本の家には、さまざまなお札などが、アチコチに貼り付けられております。これは知らず知らずのうちに、私たちを主の霊から遠ざけるのですね。

 クリスチャンの家庭では、まずそういう拝んだりする対象がないのが特徴ですね。目には見えないけれども、確かにおられる天の父なる神だけを、私たちは礼拝するからです。紙や木や板きれや、石や金属などで作った神々には、礼拝しないのです。

  それはつまり、マナセの時にも、「もし彼らが、わたしの命じたすべてのこと、わたしのしもべモーセが彼らに命じたすべての律法を、守り行ないさえするなら、わたしはもう二度と、彼らの先祖に与えた地から、イスラエルの足を迷い出させない。しかし、彼らはこれに聞き従わず」と記されているように、人々は従わなかったのです。

  怒りをかうとか、処罰されるというのは、ルールを守らないからでありましょう。

  先日、ホリエモンこと堀江貴文氏に、懲役2年6カ月の実刑判決が下りました。ルールを犯せば、罰せられるのがこの世の慣わし、というより普遍的な慣わしとも言えるでしょう。もちろん隠れてやる人もいますし、力で黒を白と言うことはあるかもしれません。この世のルールでは罰せられないけれども、神のルールでは罰せられることもあります。この世のルール違反は、懲役か、最高でも死刑ですが、神に従わない場合は、永遠の滅びです。天地万物をお造りになった主は、「やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされ(1コリント4:5)」るのです。隠しとおしたり、ものごとを捻じ曲げたりすることは出来ないのです。

  私ども日本人は、キリスト教信仰がなくとも昔から、子供達には「ウソをつくと、エンマサマが舌を抜いてしまうよ」とか言って、倫理・道徳を教えたものでした。ところが、最近はこの超自然的なものに対する恐れというものは、どんどんなくなっている感じがします。ですから、天地万物の創造主なる神に対するなど、あるはずがありません。

  真実の活ける神は、怒られる方です。私たちが、この聖書にあるように、「主の目の前に悪を行な」い続けていると、主の怒りが、この北イスラエルや南ユダに下ったように、必ずいつか、私たちのうちにも下るでしょう。ゼデキヤの場合、テキストでは、「彼らはゼデキヤの子らを彼の目ヤの子らを彼の目の前で虐殺した。王はゼデキヤの両目をえぐり出し、彼を青銅の足かせにつないで、バビロンへ連れて行った」とあります。実に惨たらしいしうちです。しかし、主の日、すなわち主の審判の時は、もっと悲惨でしょう。

   我が家の子供達が小さかった頃、「トマシーノ」というディズニーか何かのビデオがありました。その中で、トマシーノという女の子が家族と礼拝に出ていた時、牧師さんが大声で、「Death comes quickly. 」と叫ぶと、その女の子が、びっくりして飛び上がるシーンがありました。審判の説教は、教会成長型の説教ではないそうですが、やがて神の審判が下る時が来ることは、きわめて聖書的な真理ですから、ある時には、語られねばならないと、私は信じます。

   その審判がなかなか起こらないようなのは、どうしてか? それは主がその審きを延ばしておられるからです。あるいは、審判が起こっていないと感じているだけで、実際は別の形で起こっているのかもしれません。ヨハネは、「御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている(ヨハネ3:18)」と言います。不信仰、不従順ということで、刈り取っているさまざまな不具合から、これまたさまざまな苦労をする時、人々はそれを「審判」と感じるかもしれません。

   人間の目的は、ウェストミンスター小教理問答にもあるように、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことのはずです。神の怒りをかうような生き方は、人間の目的から逸れているにちがいありません。指導者であるべき、北イスラエルの王たちも、南ユダの王達も、繰り返し繰り返し、神の怒りをかうようなことをしてまいりました。「エルサレムとユダにこのようなことが起こったのは、主の怒りによるもので、ついに主は彼らを御前から投げ捨てられたのである」とあります。                 

 聖書は、イスラエル民族を通して、我々人類に教えています。何が神の怒りをかうか、どうすれば神を喜ぶことができるを考え、いつも前者を避け、後者を選ぶようにしたいものです。

  この世の法律に従っていれば、神を喜ぶ生活が出来るというものではありません。神のルール、聖書の基準に従うことが大切です。従わなければ、いつかは審判の時が来るというのも事実だということを覚えましょう。ただ、最初にも申しましたように、イエスさまのお優しさは事実ですし、その比類なき寛容さも真実です。時々、何か悪いことが起こると、「これは神さまの罰かしら」と考える人たちがおりますが、神の怒りと審判は、この世の皆さんが経験するような程度のものではないでしょう。ある人にとっては、具合が悪いことでも、神を喜ぶ人は、まったく平安に受け止めることも出来ます。もし、「罰かしら」と感じることが起こったら、それは、すなわちあの分裂(単一)王国時代にもしばしばあったように、主が私を正しい方向に導いておられるのだと捉え、もう神の怒りを招くような生活ではなく、神を喜ぶ生活をしましょう。主は悔い改めて、謙遜になる者に対しては、どこまでも寛容で、赦しに富んでおられます。私たちは、恵みの時代に生かされていることを覚えましょう。

祈ります。