2007年3月25日

芥川賞になる作品

  文藝春秋の三月号には、芥川賞に当選した青山七恵さんの作品『ひとり日和』が掲載されています。どうも芥川賞のなる作品というのは、けだるい、虚無的、トロンとしていてつかみ所がない、悲しい、虚しい、切ない、気持ちが悪い、・・・・そういった表現が当っている作品が多い感じがします。今回の『ひとり日和』も、ひどく哀しいというか、切ない感じがしました。

まず主人公知寿さんは、47歳の学校の先生のお母さんをもつ若いフリーターという設定。母親が中国へ行くので、娘を遠い親戚関係にある吟子さんというオバアチャンのところに預けます。母親は、知寿さんに大学へ行って勉強することを勧めるが、大学へは 行かないで、コンパニオンという仕事をしています。特に目的もないが、100万円貯めようとして、働いています。好きな男もいますが、もともと恋愛も手近なところでというか、あるいは馴れ合いの恋愛というか、そういう相手なのでしょう。洋平君です。もちろん体の関係もありますが、すぐに洋平君に別の女が出来てポイされます。その後、コンパニオンの他、駅の売店でも働きだします。そして駅ホームではたらく押し込み補助員、藤田君という青年といい仲になります。そしていとも簡単に体の関係になります。その体の関係でも、これはいつも同じですが、胸が高鳴るような感動的なセックスではなく、「技巧に走らない、若々しいやつだ」と書いていますが、男と女がいれば、自然とそうなるという感じの、動物的な交わりです。

これが現代の若い人たちの、かなり標準的な生活パターンなのでしょうか。私には何にも魅力を感じませんし、ただただかわいそうと思うだけです。

フリーターなどとカテゴラズされる職業はちょっと前まではなかったと思います。確かに、現代はフリーターとか、アルバイターとか、その定義づけは必ずしも妥当ではないかもしれませんが、要するに「これをするんだ」という気迫をもってする仕事でなくとも、まがりなりに生きていけるポジションみたいです。大学に進ことにしても、必ずしも、みんながみんな大学で学ぶことがベストではないかもしれません。しかし、社会に出たら、どういう形であれ、人々に、また社会に還元できる仕事をして、神の栄光を顕わすという、フィロソフィーがない場合は、こういう風に、けだるく、哀しく、切なく、と前にもあげたような形容があたっている人生になるのでしょうか。

やがて藤田君に、イトちゃんという別の女が出来て、また捨てられます。このときは、ちょっとセンチメンタルになりますが、そうなった理由について解答を見出しているようには感じません。このままの生活パターンではまた同じことをくりかえすでしょう。

彼女は、道行く人の二人連れを見て、「人の恋愛感情というものが想像できない。この人たちがどういう感情の元で結びつき、留まっているのか、大きな謎だ。少なくとも、今目の前を通り過ぎて行く彼らと、私が昔からやっていることは、別だという気はする。どうやったら、恋の最初の楽しい感じをそのまま留めておけるのだろう。惰性でなくて、ずっと一緒にいることなんてこと、できるのだろうか」と思います。

一緒に生活している70歳のおばあちゃん吟子さんも、おそらくそういう生活をしながら70歳になったのでしょうか。47歳のお母さんも、中国人のいい人を見つけたようです。

まだ藤田君と一緒にいたとき、飛び込み自殺があったようです。階段のそばに血痕か肉のかけらのようなものを発見すると、藤田君が「げっ」とつぶやいて立ち止まります。それからの二人の会話・・・・・

 

「ねえ。ああいうふうには死にたくないね」

「俺は死なないよ」

「でも死期は今でも近づいてるよ」

「そんなの、まだ遠いよ」

「でもさ・・・・・いつ死ぬかわかんないんだよ。何もしないまま、死んじゃうかもしれないんだよ」

「で?」 そう言い返されると、わたしは何も言えなかった。

 

この会話の様子では、「で?」と言ったのは、藤田君です。しかし、この「で?」は、「それがどうなのよ。関係ないよ」と言った類の言葉が省かれていますが、知寿さんの問いかけには、まったく的を得ていますが、それには答えていません。そして知寿さん自身も、藤田君の「で?」に対して、反論できないのです、実際いい疑問を持ったのですが。

この問いに対して、諦めないで、もうちょっと真剣に考えるなら、こういう生活から変われる糸口くらい見つけられると思います。

知寿さんが、コンパニオンの仕事の足を洗い、会社事務のアルバイトを始め、それからその仕事を真面目にやっていたので、「正社員として働かないか」という誘いを受けます。この誘いに乗ったことが、かすかな希望に思えました。さらに、知寿さんには人のものをくすねるという、ヘンなクセがありました。吟子さんのも、くすねました。しかし、それを夜こっそり返しに行ったのです。

けれども、やっぱりおかしい。今度はどうも妻子ある人と、不倫になりそうな気配で終ります。

著者青山七恵さんの日本語文は、とてもテンポがあって、読者をグイグイと小説の中に引っ張り込んでいきます。ただ読後は、「ウーン」と、ため息をつくばかりです。哀しい。評者の石原慎太郎氏も、「都心の駅のホーム間近の、しかし開発から取り残されてしまった袋小路の奥の一軒家という寄宿先の設定も巧み」とういうのは、まったくその通りです。結局、この婦人は、こういう生活から抜け出られないのか。

しかし、こういう作品が芥川賞になるんですねえ。

 

今週は、ゲスト・スピーカーでしたから、説教パートはありません。