2008年1月13日

『悪霊を追い出す』 マルコ1:21−28

 
1:21 それから、一行はカペナウムにはいった。そしてすぐに、イエスは安息日に会堂にはいって教えられた。

1:22 人々は、その教えに驚いた。それはイエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。

1:23 すると、すぐにまた、その会堂に汚れた霊につかれた人がいて、叫んで言った。

1:24 「ナザレの人イエス。いったい私たちに何をしようというのです。あなたは私たちを滅ぼしに来たのでしょう。私はあなたがどなたか知っています。神の聖者です。」

1:25 イエスは彼をしかって、「黙れ。この人から出て行け。」と言われた。

1:26 すると、その汚れた霊はその人をひきつけさせ、大声をあげて、その人から出て行った。

1:27 人々はみな驚いて、互いに論じ合って言った。「これはどうだ。権威のある、新しい教えではないか。汚れた霊をさえ戒められる。すると従うのだ。」

1:28 こうして、イエスの評判は、すぐに、ガリラヤ全地の至る所に広まった。

  イエス様が、マルコ10:27 で、「それは人にはできないことですが、神は、そうではありません。どんなことでも、神にはできるのです」と言われたみ言葉は、マルコの福音書理解の上で、いくつかある鍵聖句の一つであろうと思います。この年の初めにあたり、このことを覚えて、ここしばらくマルコの福音書を学びましょう。ですから、どうぞいつもこの10:27 を覚えておいて下さい。

  マルコの福音書は福音書の原型でしょう。というのはこの福音書が、おそらく四つある福音書の中で最初に書かれたからです。これは、異邦人のローマに宛てて書かれていると言われます。ローマは当時イスラエルを力で支配しておりました。ですから、先に申しあげた、10:27 は含蓄があるのです。この福音書は恐らく50年代の初めに書かれたと言われています。

  誰がこのマルコの福音書を書いたのか? 使徒の働きには、ヨハネと呼ばれるマルコ(12:12, 25)が出てきます。「ヨハネと呼ばれるマルコって誰だろう?」とお考えですか?正確にはわかりませんが、ペテロの通訳者か、翻訳者かも知れません。

  まあ、緒論的なことはそこまでにしましょう。今朝はテキストから、汚れた霊につかれた人について、考えましょう。汚れた霊を持っている人は、人々を惑わします。ですから我々クリスチャンは、そういう人をキリストの栄光のために、コントロールすべきであるということをおぼえましょう。

  まず第一に、誰が汚れた霊につかれているかということです。テキストは、「すると、すぐにまた、その会堂に汚れた霊につかれた人がいて、叫んで言った。 『ナザレの人イエス。いったい私たちに何をしようというのです。あなたは私たちを滅ぼしに来たのでしょう。私はあなたがどなたか知っています。神の聖者です』」 と言っています。

  汚れた霊につかれた人は、異常です。このとき、ほとんどの人達は、イエス様の話を聞いて、「ワー」とか、「オー」とか喚声を上げていたでしょう。

  例えば、凶悪な殺人事件が起こったとします。その時、普通の人々は、「まあ、なんてひどいことを」とか、「どういう人なんでしょう」と思うでしょう。ところがそんな時、「一人くらい死んだって、どうってことはない、地球には人多すぎるから」とか、「なかなか味なことをやるもんだねえ」などと言ってノホホンとしていられる人は、異常でしょう。

  何年か前の話ですが、私達の教会の前の郵便受けに、分厚い封筒が入っていました。普通教会前の郵便受けはジャンク・メールしか来ないのです。開いてみて驚きました。デタラメ宗教の宣伝の本で、「神は男と女を、セックスをするためにお造りになった。だからもっと自由にセックスをしましょう」というようなことが、ざーと書いてありました。勿論この種のメールは、外のごみ箱に直接投げ込まれますが、それにしてもこのカリフォルニアには異常な人達が多すぎます。

  と考える私は異常ですか?それとも、「それは素晴らしい教理だ、教会でもその教理を教えよう」と言う牧師が正常ですか?

  十八年位前になりますか、サンフランシスコでハロウィンの晩、大きな祈祷聖会がありました。ラリー・リーというテキサスの説教者が来ました。その時、私たちは高校生と一緒に、会場のサンフランシスコ市民会館に行きました。なんとまあ、何千何万というホモやゲイの人達が、その集会の妨害にやって来ていたのです。異常でした。へんなメークをして、挑発的な衣装をして、「ラリー、帰れ!テキサスへ帰れ!」とシュプレヒコールをしていたのです。ただのキリスト教の集会に、こういう反対があるとは、まったく予想もしないことで、驚きました。彼らは、私に言わせれば完全にクレージー(おかしい)です。フォレスト・ガンプは、「バカな奴は、バカをやる」と申しましたが、普通、尋常な人間は、尋常なことをやり、異常な人間は、異常なことをするでしょう。ですから、何が尋常で、なにが異常かを観察する目が大切ですね。

  ただ、ここで注意する必要があるのは、必ずしもマジョリティーが尋常なことをしているのではないということです。イエス様は、少数派でした。聖書に従う人達は正常でも、大体はマイノリティーです。従わない人は、多数でも、彼らは異常です。それは聖書という尺度で、判別するのです。

  イエス様が、十字架にお架かりになった時、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」と祈られました。この時、十字架にかけた人達は、自分達は命令に従ってやっているだけの正常な者達だと思っていたことでしょう。しかし、彼らは邪悪な霊に支配されていたのです。

  テキストでは、この男は、「ナザレの人イエス。いったい私たちに何をしようというのです。あなたは私たちを滅ぼしに来たのでしょう。私はあなたがどなたか知っています。神の聖者です」と叫びました。この男は、TPOを知りません。例えば、今礼拝中に、あなたが「パスター・エイブ、あなたは偉大な牧師さんだ」と何度も叫ぶなら、それは適切だと思いますか?神は、私達に、「力と愛と慎みとの霊」(2テモテ1:7)をくださったのです。

  ペンテコステ人は、時々異言で祈る時、このTPOの原則を思い出す必要があるかも知れません。

  二番目に覚えたいのは、何故、汚れた霊を持っている人が問題かですが、それはそういう人が人々を惑わすからです。人間は誰かによって影響を受けます。パウロは、1コリント15:33 で「友だちが悪ければ、良い習慣がそこなわれます」と言っています。これは皆さんよく分かると思います。良い友達を持てば、良くなりますし、悪い仲間に入れば、悪くなります。

  ある都会の教会で、田舎から出てきた大学生が救われました。その子は、親の仕送りは限られていたので、質素に暮らしていました。しかし都会で段々、他の友達の服装などに目が行くようになり、旅行会社でバイトをするようになりました。生活は派手になりました。教会の先生は、「あなたは着るものは美しくなったけど、中はさびれていくように感じます。教会のお友達より、世の中のお友達の方に興味がありますね」と注意しました。彼女は聞きませんでした。そして海外旅行が出来るとか話した、邪悪な霊の旅行会社の男の人と、道ならぬ仲になり、教会から去りました。仲間が悪かったのです。

  我が家の子供たちは、大学でクリスチャン大学へ行きました。アメリカでは、高校までクリスチャン・スクールへ行っていて、大学で一般大学へ行くと、90%くらいが教会から去るそうです。一方、大学でクリスチャン大学へ行くと、70%くらいが、生涯信仰を保つそうです。ですから、小中高とクリスチャン・スクールにやるのはいいですが、鍵は大学だと思ってよいでしょう。

  勿論、私達は未信者とお付き合いしなくてはならない時があるでしょう。しかし注意が必要です。と言うのは彼らは、あなたをイエス様から、離そうとする影響を与えるからです。

  娘のキャロルには南カリフォルニアに双子のお友達がいました。彼らのお父さんは、「お前達がクリスチャン大へ行くなら費用を出してやるが、一般大なら、自分で行け」といわれて、二人はクリスチャン大へ行きました。お父さんは、大学での友達の影響が大きいことを知っていたからです。彼らは二人とも信仰を保って、素敵なクリスチャンのご主人と結ばれました。UCバークレーへ行くのも結構です。スタンフォードへ行くのも結構なことです、もしいい信仰があればの話ですが。聖書は、「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません(ヘブル11:6)と言います。

  未信者は、何と言っても汚れた霊を持っています。彼らは主イエス様に対して忠実ではありません。彼らの影響は、非常に大きいのです。

   そこで最後に覚えていただきたいのは、どのようにしてそれをコントロールして、神の栄光を表すかということです。

   もしこの時、イエス様が何も言われないで、あるいはこの男をコントロールなさらなかったらどうなるでしょう。これは丁度「人々は、その教えに驚いた」後です。その後で、この汚れた霊につかれた男が、「ナザレの人イエス。いったい私たちに何をしようというのです。あなたは私たちを滅ぼしに来たのでしょう。私はあなたがどなたか知っています。神の聖者です」と叫びだしたのです。人々は、動揺したでしょうね。

  こういう時には、神の知恵が必要です。この男は、特に精神的な病ではなかったと思います。使徒の働き16章で、パウロも同じような体験をしています。この時は、占いの霊につかれた若い女奴隷が、「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えている人たちです」と叫びました。この時パウロは、「イエス・キリストの御名によって命じる。この女から出て行け」と命令して、汚れた霊を追い出しました。イエス様も、パウロも叫んで、命令してコントロールしています。

  汚れた霊の持ち主は、福音の進行に邪魔になります。皆さんも経験ありませんか、伝道の妨げはいつも未信者、つまり汚れた霊を持っている人です。

  何年か前、死にそうな老人に伝道したことがありました。しかしその時の邪悪な霊の持ち主は、その奥さんでした。「へんな教えをいまさら主人に教えないで、このまま仏さんのところへ行かせてやってください」と言いました。私は他の二人の牧師先生と一緒に行っていましたので、私がその奥様と話をして引き離している間に、あとの先生方が病人の枕元で伝道するという作戦を取りました。これは成功したかどうか分かりません。それは先生方が伝道している声をききつけ、その奥様が入ってきて、伝道を止めさせたからです。

  ある時には、イエス様やパウロがやったように、「出て行け」と叫ぶことが必要でしょう。ある時には、静かに、しかしおごそかに命令することが良いかも知れません。知恵を求めましょう。

  少なくとも言えることは、決して邪悪な霊に同意してはいけないと言うことです。未信者とは、汚れた霊に支配されているから、未信者なのです。1ヨハネ4:1-3は、「愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それによって神からの霊を知りなさい。イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。それは反キリストの霊です」と言います。

  私達クリスチャンが、汚れた霊をコントロールすることが出来るなら、神の栄光を見るでしょう。人々は救われ、病が癒されるでしょう。憎しみは去り、平和が来るでしょう。

   主に神の知恵を求めましょう。そしてどんな方法でも、汚れた霊をコントロールさせていただきましょう。イエス様が、「黙れ。この人から出て行け」と言われ、パウロが、「イエス・キリストの御名によって命じる。この女から出て行け」と申しました。汚れた霊をコントロールするには、命令を下すことは、基本でしょう。「出来る」と信じて、大体に汚れた霊をコントロールして、主の栄光を見させていただきましょう。

  アーメン