2008年1月20日
JFK
オリバー・ストーンの名作「JFK」の公開は1991年でした。あのあと、ジム・ギャリスン検事の本も出て、それも読みましたが、その本の方が迫力があったことを覚えています。その本によれば、あの暗殺事件の後、事件関係者が、次々に謎の死を遂げていったばかりでなく、ギャリスン検事自身も事件から手を引くように脅されたようで、ますますアメリカとい国が気味悪く感じたものでした。事実、ギャリスン検事は、あの映画の公開後すぐ、七十そこそこで亡くなりましたが、あの時だって死亡原因は何だったのだろうと思いました。もしかしてオズワルド単独犯を主張したいサイドによって殺されたのではないかとさえ思いました。
さて、あのジョン・F・ケネディー暗殺事件の真相は、2035年にウォーレン報告が全部公開されるそうですから、もし私が元気なら、その報告を知ることが出来るでしょう。
随分前置きが長くなりましたが、今日の話は、JFKに関連してはいますが、その事件そのものではありません。実は、日本で「JFK」として文庫本で読める本が、この文のきっかけです。
あれはアメリカでJFKが公開され、続いて日本でも公開された頃でした。すでにJFKの本も出ておりました。私の出身は岐阜県で、新幹線は普通名古屋から乗りますが、座った名古屋から東京に向かう席の会い向かいに一人の品のいい婦人が座っておりました。私より年配の方です。新幹線の座席は普通、大体進行方向に向いているのですが、誰か前に座った人が会い向かいで座ったようで、それが直されていませんでした。そして何げなくそのご婦人の読んでおられる本のタイトルを見ると、JFK だったのです。私は、アメリカで映画も観ていましたし、その本も読んでいましたから、「その本にご興味がおありみたいですね」と話しかけると、熱心に読んでおられた視線を私の方に向けて微笑み、「ええ、私達の世代は、何といってもあの事件については、非常に衝撃でしたから」と言われたので、「それは当時中学3年だった私でも同じです。日米間の衛星放送が始まって、最初に飛び込んできたのがこのニュースでしたものね」と言うと、一挙にJFKがとりもつ会話となりました。
「この映画をすでに観賞なさいましたか」
「いいえ、まだです。でも観賞前にこれを読んでおこうと思いまして」
「そうですか。いや私はすでにアメリカであの映画を観ました」
「アメリカに旅行でもなさったのですか?」
「いいえ、実は私は、アメリカに住んでおりまして、日本は今訪問中なのです」
「ああそうなのですか。でもその内容については私に言わないでくださいね。楽しみにしておきたいから…」
そして私が、カリフォルニアでキリスト教の牧師をしていると言うと、この婦人は、「そうですか、牧師さんですか」と言ってから、御自分の素性を明かされました。
Fさんは、神戸にお住まいの精神科の医師でした。そして「私共のやっております仕事を考えます時、治療には、もう絶対、お宅さまのような宗教家の方々の助けが必要だと感じるのです」と、私にとっては過分な言葉を聞きましたが、私は特に精神科の先生と組んで仕事をしたことはありませんでしたし、その方面で特別訓練を積んだわけでもないので、「ハアー、ハアー」と答えにならない答えをしておりました。しかし、当時年齢的にはウーンと若い私のことを、その仕事のゆえにでしょう、尊敬を払って接して下さいました。穏やかで、言葉遣いも丁寧で、品格、人格という点で、まさに私が、「こういう婦人は素敵だ、パーフェクト」という条件をすべて満たしているような方でした。私はその時、色々なことをこのF先生に話しました。貧しい中で家内のレストランでの仕事を支えに、ミズーリで神学校に行ったこと、なんの経済的な保障もなく、サンホゼに来て伝道を始めたこと、そしてその頃は、日本からの学生さんに伝道し、会堂を買おうとしていること、などなどです。
そうしたら、信じがたい話ですが、「とても感激しました」と言われたので、「もしカリフォルニアにおいでの節は、どうぞ私達の働きを垣間見てください」と名刺を渡し、東京駅で別れたのです。
ところがしばらくして、アメリカにそのF先生からの献金入りの手紙が届きました。驚きました。それ以来、もう15年以上になりますが、このF先生との手紙によるお交わりは続いております。時々、献金もしてくださいます。このクリスマスの時期にも、また献金が寄せられました。
JFK事件は、確かに大変な事件でしたが、あの事件の本がきっかけで、こんなにも長いお付き合いが出来る方を与えられたことは、全く感謝でした。