2008年2月3日
聖書と通読
クリスチャンとは、聖書に記されているイエス・キリストを救い主として信じた人であります。ですからその信仰の根拠になる聖書は大切であることは言うまでもありません。普通、日本人は日本語の聖書を読むと思いますが、その聖書をいつまでたっても、もらったギデオンの新約聖書とか、礼拝に来ても、教会の備品の聖書で済ましているクリスチャンの気持ちには首を傾げます。
教会の備品の聖書は、勿論旧新約付いていますが、そう上等ではありません。私は信仰を持って、一度聖書を通読したころ、教会の牧師先生や、役員クラスの人が持っておられた、金縁の聖書が欲しくなりました。勿論、安い聖書でも内容は同じですから、必ずしも金縁で、皮表紙でなくてもいいですが、本当に信仰者になったのなら、聖書に位お金をかけると思います。洋服やレストランや、映画や、楽しみのためなら、1万円くらい簡単に使うのに、信仰と生活の唯一、第一の基盤である聖書には、安物、借り物、中古品、貰い物の類では、ちょっと寂しいと思いませんか?
婚約は、神の前に約束ですから、婚約指輪のカラットの大きさに価値があるのではなく、100円単位のオモチャでも構いませんが、愛する人には、その人にとっての精一杯の婚約指輪を贈るでしょう。
私は聖書協会や聖書刊行会から、頼まれているわけではありませんが、安げの聖書は、信仰を持ったクリスチャンには似合わないと思います。あれは 「信仰は持たなくても構わない、とにかく参考のために」というタイプの人達用です。あるいは、一冊は金縁を持っているが、補助のためとか、別の訳で読みたいという場合の聖書です。なるべく金縁の聖書を求めましょう。
私が金縁の、値段の高い聖書を買うことを勧めるのは、読む意欲がわくだろうからです。近年のクリスチャンは、聖書を読まない、実に読まない、と感じています。コンピューターに何時間もへばりついて、ネットサーフをする時間はあっても、聖書を読むことは実に少ない。「先生、今日では、電子聖書ですよ」と自信を持って言える人は、除外しましょう。しかし、私の思いでは、そうは言っても、電子聖書で読んでいる人は少ないと思います。
高級な聖書ですと、やっぱり読まずにはいられないという気に、少しはなると思います。ゴルフをやる方にうかがったのですが、ゴルフが本当に上手になるには、安いクラブではだめだそうですね。それに似ていると思います。気持ちが違ってくるのです。
それから、そういう聖書を持ったら、通読をすることです。これがなかなか出来ていないのですね。
このサイトは、私がありがたいと思って、使わせているサイトです。通読表をダウンロードして、印刷して、聖書に貼っておいて、読んだ箇所をつぶしていくやり方で、通読をします。東京キリスト神学校の下川先生の、聖書読みのテクニックで、聖書を通読できるのですね。先生も書いておられすし、私のこのe-mail blessings の読者の一人も、言っておられましたが、誰かと組んで、通読をしたらいいですね。競争で、あるいは励ましあって読むことです。私の場合は、家内がいますが、今日では、インターネットがありますから、世界中の人と、組んで出来ると思います。
信仰を持ったばかりの人は、一年に一回より、一年に二回くらい読むプログラムで行った方がいいと思います。一年に一回などというペースでは、遅すぎて、ダレてくると思います。とにかく最初は、何が書いてあるか さっぱり分からないでしょう。そういうところは、字面を追うだけでいいです。「とにかく読んだ」という実績を持つことが大切です。新約の福音書ばかり何度読んでも、「通読」したことにはなりません。そうやって、読んでも、必ず何か胸を打つ箇所があるものです。私など、最初に聖書を通読した時は、もう、何と言いますか、面白そうでないところは斜め読みに近かったと思います。しかし読んでしまうと、何しろ「通読しました」と言えますから、何か気分がいいのですね。クリスチャンになって、何年もたっても、一度も聖書を通読したことがないという人もかなりいると思います。それは残念であるばかりか、その信仰の質を問われるでしょう。
金縁の聖書を買って、今年こそ是非、聖書を通読しましょう。