ラヴォロジー(10) 33回目の結婚記念日と加山雄さん夫妻
3月31日は、私達の33回目の結婚記念日です。私達が出会ったたのは、日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団中央聖書神学校(当時の中央聖書学校)です。妻は、横浜生まれの横浜育ち、私は岐阜県の美濃加茂という母の実家の田舎町で生まれ、育ちはもっと田舎の当時は加治田村と呼ばれた所です。ですから、妻は、ふざけて、「シティー・ガールとカントリー・ボーイが一緒になった」と申します。
都会生まれのオマセな妻は、女子の強みで、子供がどうして生まれてくるかも随分早くから知っていたらしいですが、私などは男兄弟しかなかったことと、そういう田舎育ちだったこともあって、セックスのこと、あるいはどうしたら子供が生まれるかを知ったのは、ちょっと町の物知りの仲間が教えてくれるようになった、高校に入ってからです。
家内は、小学校高学年から中学頃は、加山雄三さんの大ファンで、彼が理想の男性だったようです。それは加山さんは、スポーツが出来る、楽器が出来る、英語が出来る、そしてカッコいい、と若い女性があこがれるようなすべてを備えていた男性だったからのようです。
実際、加山さんはスポーツ万能で(チーム・プレーはあんまり好まないらしいですが、スキーなどは、国体で神奈川の代表にもなったようです。)楽器がうまい。あの頃の流行は、エレキでしたが、そのエレキがメチャクチャ上手かった。それに彼はドラムもうまいし、何よりピアノがうまい。
あの当時、英語が出来る人はかなり限られていましたが、加山さんは、慶応ボーイであることが理由かどうかは知りませんが、ベンチャーズなどが来ると、通訳は要りませんでした。若い女性があこがれるのは当然でしょう。
しかし、今となって私の妻が、加山さんが好きだったという点でのクレジットは、彼が奥様に(松本めぐみさんという若い俳優だった)あの男女関係が乱れに乱れている、芸能関係の仕事にあって、一人の奥様に忠実であったという点です。
私は、加山さんのようにピアノは弾けません。ギターは多少爪弾きますが、彼とは雲泥の差です。スポーツは、そこそこできますが、スキーはボーゲン止まりです。水上スキーは出来ません。英語は、おそらく加山さんよりいけるかもしれませんが、加山さんより絶対に誇れることは、私には信仰があるということです。そういう私と結婚してくれた、家内には本当に感謝しています。
昨今では、一般社会でも不道徳や不倫は当たり前のようです。芸能界では、まさにその通りですね。一体芸能界で働く人たちの何組が、おしどり夫婦と言えるでしょうか。テレビに出てまで、恥じらいもなく、不道徳や不倫を吹聴している芸能人もいる始末です。
1981年、若大将こと加山雄三さんは、結婚して10年位して『この愛いつまでも』という本を出しました。家内が買わないはずがありません。今、手元にないので、正確な引用ではありませんが、その中で加山さんは、「仕事柄、私の知り合いたちで、私をそういう遊びに誘ってくれる人もいました。そしてそういう誘惑に乗りそうになったこともありましたが、どうしてもその時になると、「これまで家内と築き上げてきた10年、家内は僕のために素晴らしい子供を四人も生んでくれた。この人との築き上げてきた、尊い十年のことを思うと、僕は決して彼女を裏切ることは出来なかった」という主旨のことを書いていました。
あれから28年も経過していますが、私達は今でも加山さんは、奥様に対して忠実であると信じています。
あの本の中では、奥様とセックス・ライフも、あの若大将の健康はつらつさで、かなりリアリスティックに書いてます。いつか黒柳徹子さんとの対談で、あの黒柳さんですら、「あら、随分ハッキリお書きになりましたわねえ」と、言っていました。セックス・ライフは、夫婦だから、本当に喜びと、感激で力いっぱい交わることが出来るのです。
私達夫婦は、加山さん達よりはちょっと短いですが、本当に素晴らしい33年間を過ごしてきたと思っています。このかけがえの無い年月のことを思うと、「どうしてこの妻を裏切ることが出来よう」と、やはり思わずにいられません。
加山さんの後を行く、芸能人で同じようなフィロソフィーで生きている夫婦は、三浦友和・山口百恵夫妻でしょう。
「死が二人を別つ時まで、堅く節操を守ることを誓いますか?」といわれた時、「ハイ、誓います」と、神と人の前で誓ったあの誓いを、いつも覚えて、堅固で、素晴らしい結婚生活を、一年一年積み上げていきたいと思います。
2008年3月30日