故郷の偉大なキリスト者 岸千年先生

私が生まれたのは、岐阜県美濃加茂市。極めて保守的な町です。あちこちで書いているが、岐阜県にはキリスト教会は平均的に少なく、私が育つ頃は、美濃加茂市にカトリックも新教の教会も、その存在を知りませんでした。あとで、クリスチャンになって捜してみると、改革派のかなり立派な先生方が、この町にあった小さな伝道所で相当苦労なさっていたようです。それは随分裏通りにあって、大部分の人達が分かる存在ではなかったと思います。

    例えば、その著名な先生の一人は、後で神戸の改革派神学校の先生もなさっていた安田吉三郎先生で、ウェストミンスター神学校から戻ってから、ここでおそらく苦労なさっていたようです。岐阜県民は福音には、なかなか心を開かなかったようです。高校の時の同級生が、私がクリスチャンになってから、「安田先生に『英語』を習っていた」と言っていました。

   あとは日本キリスト教団の美濃太田伝道所で、これは子供たちが生まれた産科医院でやっていたようですが、子供たちのお産の時、小さなキリスト教の看板を見つけたくらいで、それまでは知りませんでした。

    そういう環境では、私の生まれ故郷からは、キリスト者としての勇者は出ていないかというと、ドッコイ、びっくりするような大物が出ています。

    それが長く日本聖書協会の理事長をなさっていた岸千年(ちとせ)先生です。明治30年頃の生だったと思います。勿論すでに召されていますが、私が結婚した今から33年くらい前はまだお元気で、私は当時、先生が聖書協会の理事長であり、岐阜県美濃加茂市出身だと知っていました。

    私達は、結婚して岐阜県で開拓伝道をするつもりでしたので、それを理由に、図々しくも電話して先生とアポを作って、教文館の聖書協会で会うことにしたのです。ルーテル派の重鎮が、ペンテコステの私に、しかも全くの初めて会う私に、時間を割いて下さるというのも特別の計らいでした。「美濃加茂市で開拓伝道をします」と言うと、「なかなか大変だと思いますが、信仰をもって励んでください」と祈って下さいました。結婚式の記念ということで、色紙を下さいましたので、それを額皿にし引物にして配った思い出があります。

    岸先生は、昔の美濃加茂市の様子や、美濃加茂市にまだ何件かある親戚の方などのことを話してくださいました。その一つ、美濃加茂市蜂屋町に今でも「堀部」という医院がありますが、そこが血縁だとだとうかがったので、結婚して美濃加茂市に着いてから、その堀部医院を訪ねてみました。そうしたらそこのお医者さんではなく、そこに来ていた岸先生を知る血縁の方が、「ああ千年かね。あれは何か、東京の方でキリスト教をやっちょるげなわ」と少しバカにしたような口の聞き方をしたのです。

    当時の日本のルター研究の第一人者の学者、ルーテル教団議長、聖書教会理事長など、日本のキリスト教会のリーダー的存在だった岸先生をつかまえて、身内が「あの言い草はなんという・・・」と思ったものです。

    イエスさまの時代のイエスさまを知らない人たちのようでした。まさに「預言者は自分の故郷では尊ばれない(ヨハネ4:44)」です。

    岐阜県美濃加茂市は、明治の文豪坪内逍遥も、輩出していますが、坪内は市などの催しではしばしば取り上げられ、名誉市民ということになっていますが、彼らは岸千年先生のことは、名前すら知らないのでしょう。

    これがわが故郷美濃加茂の文化程度です。残念なことです。恐らく今も、この6万5千人位の人口の町には、この二つの教会しまないと思います。改革派も日本キリスト教団も、専任牧師はいなかったのではないかと思います。改革派は愛知県の犬山教会の先生が、日本キリスト教団は坂祝というところの教会の先生が、兼牧なさっていたと思います。

    神は実に不思議な方で、こういう町からでも、時折、ポッと主の器を排出なさいます。まあ、岸先生には足元にも及びませんが、私も地元ではあまり受け入れられなくとも、最後まで福音の役者として主に仕えていこうと思います。


  

 

2008年5月11日