教会の『聖』ということ
私が、浜松にあるハレルヤ・コミュニティー・チャーチ(HCC)という教 会の裁判ににかかわっていることをご存知ない方もあるかも分かりませんのでお 話します。私のブログにも、この件で書いています。http://blogs.yahoo.co.jp/abeishihara
1980年代後半から、私はこの教会の榊山清志という先生とお交わりがありました。年に100人以上の洗礼者を出す教会として、クリスチャン新聞でも取り上げら
れ、私も注目し、私達の教会に来てもらったので、お近づきになりました。
HCCは目覚しい発展も遂げたのですが、その間にとても信じられないよう な訓練というか、暴力やセクハラがあったのです。HCCでは、牧師に従うとい うことが従順だと教えられていたようです。それはある場合には麗しいのですが 、牧師の働く暴力やセクハラにも、信徒は黙って従う以外になかったようです。 こうなると、もう英語的な表現ではクレージーです。
さすが1990年代後半から、抜ける人が多くなり、2000年代になってもさらに 抜ける人が出て、2005年遂に暴力やセクハラを受けた人の一部が訴訟を起こしま
した。榊山氏は、男女の見境なく、横ビンタを食らわせる、ドラムのスティック やこたつの足や、フライパンで、お尻や足の裏を何度も叩くといった暴力を加えました。ある時には、女性のスカートをまくらせたとも言われています。暴力だけでなく、書くこともためらわれるひどいセクハラもありました。
「お尻や足の 裏なら、大したことないでしょう」と言うなかれ。ある女性は、あまりに足が痛 くて、車を運転していて、ブレーキが踏めず、三重衝突を起こしてしまったというのです。横ビンタで、鼓膜が破れた人がいた。ドラムのスティックで叩かれ、
頭骸骨骨折で、今も療養中という人がいる。妊娠中にもかかわらず、叩かれたり 、厳しい作業を言いつけられたりで、流産した人がいる。生きたままのドジョウ
を食べるように強要されたり、青ダイショウまで皮をむしって食べさせられた人 がいる。もう信じがたいメチャクチャです。訴訟で、暴力に関して、一番決め手になったのは、今も原告に痕が残る、そ
して診断書もあった、お灸でした。罰で、お灸がすえられたのです。被害者は随分の数にのぼります。「お灸を すえられる」は本当にお灸なのです。若い人たちは、「お灸って?」と思うでしょうね。皮膚の上に載せたもぐさに火をつけるのです。私は昔オバアチャンがやるのを見ていたことがありますが、米粒ほどのもぐさでも、オバアチャンは顔をしかめました。しかし彼らはスプーン一杯とか二杯のもぐさでした。当然、酷い
火傷になります。嫌がる人には、数人の人達が押さえつけておいて、お灸をすえたようです。あの教会のそばに、聖隷病院という病院がありますが、そこにかかった被害者を見ての先生が「いったいあの教会では、何をやっているのだ?そこは本当にキリスト教会か?」と言われたということです。皮膚移植が真剣に考えられたほど酷い火傷を負った人が二人はいます。それが「早天祈祷会」に遅れた(「来なかった」ではない)という理由位でもお灸だったそうです。これでは私の出身の中央聖書神学校の神学生は、みんなお灸だろうと思います。
私は、榊山氏とお交わりがありましたが、そういうことは全く分かりませんでした。と言うのは、こういうタイプの教会は、出た人とは決して話をしてはいけないと教えられますし、教会の中で何があったかについては厳しい緘口令がひかれますから、なかなか問題が外に出なかったようです。北朝鮮のような感じなのでしょう。私はある方から、その実体を知らされてびっくりしました。家内などはあまりのショックで、この時に一時うつ病になったのです。そこで私は榊山氏に「今まで、訴えられなかったのは、お恵みでした。早く悔い改め、謝罪し、保証し、和解の方向に持っていってください」と手紙を書きました。しかし彼は聞きませんでした。その頃、聖神中央教会の金保の問題が明るみに出て、被害者達が「私達も訴訟を起こせるかも」と弁護士さんに相談しました。2004年も後半になってからでした。2005年、遂にハレルヤ・コミュニティー・チャーチ(HCC)と榊山氏は訴えられました。その後、公判を通して、様々な問題が明るみに出されました。「2ちゃんねる」というサイトや、その他のサイトでは、その問題がさんざん書かれました。「ハレルヤ・コミュニティー・チャーチ」で、検索をかけてごらんなさい。教会の様子だけでなく、榊山清志先生の悲しい問題が、ゾロゾロ出てまいります。あの教会は、以前はイエス福音教団に属していました。故穐近祐師が、初代監督でした。穐近師は、「聖潔」と「謙遜」がモットーで、女性関係、性の乱れに対しては非常に厳格でした。(私はそれが普通だとは思いますが)ところが、 榊山氏が、信じられないようなセクハラ事件を起こしました。何があったかについては、もう書きたくありません。この裁判は、すでに終っていまして、裁判の記録は被害者の会である、「ゆうきの会」のHPに、詳細が出ていますので見てください。 http://www.yuukinokai.com/
榊山氏は、宣誓しての証言でウソをつきました。そして、論理的には、そういうウソを言うことで、「原告側がウソを言っている」と、原告側にウソつきの汚名を着せました。日本では、ウソつきでも牧師は出来るのでしょうか?私共が住むアメリカでは、ウソつき liar ライヤーは、牧師はおろか、殆どの指導者的な仕事は出来ないのが普通です。彼は裁判で、宣誓した上で、ウソを言ったのです。先週月曜、5月19日、静岡地裁浜松支部で、判決が言い渡されました。結果は 、訴えを起こすのが遅すぎたので「時効」ということで、原告の訴えは棄却されました。この判決は納得できませんが、もともとお金が目的ではなく、榊山氏の不当な暴力とセクハラに対する訴えですから、それが認定されたことは実質勝訴でした。つまり被告榊山清志氏は、損害賠償責任は免れましたが、暴力・セクハラ牧師と認定されたのです。ところが、何を勘違いしているのか、HCCと榊山氏は、訴えは棄却されたのだから自分達が全面勝訴だと騒いでいるのです。 最早、この問題はハレルヤ・コミュニティー・チャーチ(HCC)という 教会で、何が起こったかではなく、日本の教会の「聖」の問題だと考えられます。この裁判の間でも、この暴力・セクハラ牧師をかばう牧師たちがいたのです。 進んで、榊山氏をかばう陳述書を書いた牧師もいました。被害者原告を助けてくれる牧師はなかなかいなかったようです。彼らは私に、「被害者側の陳述書を書いて欲しい」と頼んで来ました。私はこれを、「単なる出て行った悪い信徒たちの、牧師を非難する悪い噂」とは、もう思いませんでした。そこの教会の副牧師的な方、榊山氏の実弟、その他、彼らの中の伝道者と呼ばれていた人たちもと、証人が多すぎたからです。浜松の遠州牧師会も、その頃までには、榊山氏と完全に袂を別っていました。誰も牧師サイドで、被害者側に味方する人がいなくて、私に陳述書を書いてくれ、と頼んでいるのに、私は、祭司やレビ人になるわけにはいきませんでした。サマリヤ人でいこうと思って、目一杯、被害者原告側にたった陳述書を書いて、裁判所に提出しました。重ねて申し会えますが、結果は被害者原告側の実質 勝訴です。榊山氏の、暴力・セクハラは認定されました。先月のハーザー6月号の私の文をお読みになった方もあろうかと思います。 名指しで糾弾するというやり方をした私のことを、「同じ牧師仲間に対して、ひどい書き方をしたものだ」と思っている牧師たちも、恐らくいるだろうと想像します。しかし、あの裁判で認定されたような暴力・セクハラを働いた牧師の立てる講壇はありません。榊山氏に残されている選択は、辞任しかない、これが私の 聖書から見た標準です。 パウロは、「罪を犯している者をすべての人の前で責めなさい。ほかの人をも恐れさせるためです。(1テモテ5:20)」と教えました。こういう事件を通して、教会の指導者達はエリを正す時だと思います。「成長」という名を隠れ蓑にして、「聖」がいい加減に取り扱われるようになるなら、それは最早キリストの教会とはほど遠いものになります。パウロは、また「悪人や詐欺師たちは、だましたりだまされたりしながら 、ますます悪に落ちて行くのです。けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい(2テモテ3:13-14)」と言います。祝福され健全に成長している教会なら、それはそれでいいでしょう。しかしただ数が多いから素晴らしいのではない、ということをこのハレルヤ・コミュニティー・チャーチ(HCC)という教会の事件は教えてくれています。パウロは、また「しかし、どのように建てるかについてはそれぞれが注意しなければなりません。というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。( 1コリント3:10-13)」と言います。牧師が陥りやすい過ち、それは「大教会の牧師になりたい」という願い。 大きな望みを抱くのは悪くはないでしょう。しかし、「聖書のルールに従ってやりましょう」、ということです。教会の「聖」が損なわれての成長、聖書のルールを外れての成長は、はなはだ疑問と言わざるをえないでしょう。
