ティワナでのクリスマス
私どもの住んでいるところは、カリフォルニア州です。歴史的には、現在のアメリカ合衆国のカリフォルニア州は、その昔はスペイン領(メキシコ)でした。西へ西へと押し寄せたアメリカが、米墨戦争などを経て、現カリフォルニア州が、アメリカの31番目の州に加えられたのは1850年です。
しかし、現合衆国のカリフォルニアは、もともとがスペイン(メキシコ)の領地ですから、サンフランシスコから南の主要な町は、殆どスペイン語の名前です。ロスアンゼルスは、The Angels (天使)とか、ロスガトスThe Cats(猫)の意味の町から、サンフランシスコ、St. Francis(聖フランシス)、サンホゼは St.
Joseph (聖ジョセフ)といった人の名前の町まで、全部スペイン語です。
さて、そういう合衆国カリフォルニア州ですが、地図を見たらお分かりと思いますが、その南に細長い半島があります。これはメキシコ領のカリフォルニア半島です。アメリカ領の一番南の町サンディエゴから、国境を越えるとそこは、メキシコ領バハ・カリフォルニア州と言います。ですから、カリフォルニアとは、現在のアメリカとメキシコにまたがっているのです。そのメキシコ側のバハ・カリフォルニアの一番北、つまりアメリカとの国境の町がティワナです。あんまり知られていませんが、人口140万以上の大都市です。
実は私の妻は、今から35年も前、東京の中央聖書神学校にいた時から、すでにメキシコへの宣教師になりたいと思っていました。私はこの妻と東京の神学校で知り合いましたが、1968年、つまり東京でオリンピックの次がメキシコだったというくらいで、当時の日本人にとっては、メキシコなどという国は、殆ど未知の国でした。ですから自分の伝道生涯で、メキシコ人に奉仕するなどということは全く想定外でした。
私たちは結婚して、妻のメキシコの宣教師になるという願いは、すっかり消えうせたかに見えました。それが私が留学生としてアメリカに来たことで、現実になってきたのです。
1992年に、私どもは、私どもの団体としては初めてのアメリカでの日系キリスト教会の会堂を持ちました。本当に嬉しかったのです。しかし聖書には「喜ぶものと共に喜べ、悲しむ者とは共に悲しめ」と書いてあるので、自分達だけ喜んでいるのは、聖書の教えに反すると考え、この喜びを他の人にも分け与えようと思いました。そして考えついたのが、ティワナ・メキシコです。
それから私は、何とかメキシコの人と関わりを持ちたいと思って、あちこちのメキシコ人教会に、「ティワナに知り合いがいないか?」と尋ねました。このような経過で知ったのが、一人の婦人でした。
ナオミ・アンザルドさんは、メキシコ系アメリカ人です。ご両親はニューメキシコ出身ですが、ニューメキシコ州がアメリカに併合されたのが1912年で、ナオミのご両親は、スペイン語を話していたのでは、アメリカでは子供が不利になると考え、最初ナオミにスペイン語を教えませんでした。父さんが早く亡くなり、親戚を頼って、ニューメキシコからサンディエゴにやって来た頃、クリスチャンだったお母さんに、「キリスト者として祖国の人々のために仕えたい」という思いがやってきました。ナオミのお母さんは、それから国境を渡ってティワナに通い、そこで小さなメキシコ人の教会を設立し、会堂を建てた頃(1983年)亡くなりました。
現在47歳のナオミはメキシコ系でもアメリカ人で、お母さんと一緒にティワナに行きだしたのは彼女が14歳の頃ですから、完全な英語を話し、スペイン語は第二外国語です。ナオミには、メキシコ人のパブロというご主人との間に三人の女の子(24歳双子、18歳)があります。
ご主人は刑務所で服役していた時、聖書の話を聞いてキリスト者になったばかりか、伝道者になりました。そして夫婦でまたナオミのお母さんが始めたような、小さな教会を始めました。しかしコロニーのメキシコ人の収入は週80-100ドル位と貧しくて、彼らだけではなかなか会堂用地を買えません。そんな頃に、私たちは初めて、このティワナ・メキシコに行きました。
1993年夏、私は日本に来て、いくつかの日本の教会を巡回して、「メキシコの教会のために献げてください」と訴えました。こうして日本から献げられた約4500ドルで、彼らは土地を買いました。「たった、それっぽっきり」と言うなかれ、彼らにとっては大金なのです。彼らは、本当にこのギフトを喜びました。それから彼らは土をくずし、穴を掘り、基礎をつくり、まず地下室をつくり、少しずつですが、自分達の手作りで、会堂を建てていきました。パブロが刑務所にいたこともあって、服役者の伝道、そして服役を終えた人たちのケアなどを通して、男の人たちが、その教会に住みつき、さまざまな作業をしています。今、そこには質素ですが、教会が建っています。そして、そこでは貧しい子供たちに、着るものを与えたり、温かい食事を振舞うというミニストリーもしています。
昨年、サマー・スクールにやって来た生徒もそこに連れて行きました。そうしたらその中の一人が、この秋、「メキシコの子たちに」と、送料と共に古着を出してくれました。見たまま、聞いたままを素直に捉え、自分に出来る何かをしたいという少女の感性が、「日本からでも古着を贈ろう」という思いを抱かせました。クリスマス前に、献金と一緒に、それを届けに行きました。古着と言っても、かなり厳選されたものです。彼らが喜んだのは言うまでもありません。ナオミが、ティワナの質素な教会での子供のクリスマスの様子を一杯、写真に撮って送ってくれました。
メキシコに限らず、世界の多くの地域で、一杯のスープのために、一枚の毛布のために苦労している人がいます。そういう人達のことを、ちょっと考える心を持ちたいものです。
